直線上に配置

木の下隠り :其の八

 

(貴方の哀願の声こそ天上の迦陵頻伽の美声にもまさる、もっと云え、云ってくだされ、さあ、殺生丸!)

(もういい・・・もう苦しい・・・手を、放し・・・奈落・・・・)

 返事の代わりに脚がいっそうひらかされ、身動きとれぬまま横たわる殺生丸の視界から奈落の姿が消えたので、生け贄は身悶えして足をつかむ手を振り払おうとした。そのとき、また低い笑い声がした。

(奈落・・・うッ)

 押し付けられた熱さが殺生丸の体をゆっくりと責めさいなみ始める。絞り出される声はもはや言葉にならなかった。奈落の非道な力づくのそれが、ついに殺生丸の強固な妖怪の冷静さの障壁を破り、その禁欲的な青い体に秘められた官能の底流を探し当てたのだ。

 大きく開かされたままの足の間にそって横たわった相手の動きに力がこもる。足首が無造作につかまれて横になったままの奈落の首の上にひっかけられた。そのあとの責め苦はもう声にも言葉にもならぬ。

(ああ、あ・・・奈落・・・奈落・・・・)

 悩ましいあえぎが口をついて出る。快感は厳しく抑えこまれていた分だけいっそう熱く妖しく体の芯までとろかし、時折突き上げられるたびに殺生丸をほとんど惑乱させ、正気のときに本人が聞いたら羞じて死にたくなるような、あられもない言葉を口走らせた。

(なんというお声を出される、冷静な妖怪にあるまじき振舞いですぞ)

 いたぶるような残忍なささやき声がする。

(どうやらわしのやり方がお気に召したようだな。まだまだ、たっぷりと時間をかけて味わっていただかねば、のう、殺生丸)


                * * * * *



 結界で作られた自らの城に相手を連れこんでからもう数日がたっていた。薄暮の茜色の光がこの妖しい瘴気が包む結界の中にさえ差し込んで、廊下を歩く奈落の背に長い黒い影を落としていた。城の一間の前で彼は足を止めた。

 室の奥は日も差さぬ暗闇であった。殺生丸が灯りをつけて肌を見せるのをいやがったからである。むろん妖怪の鋭い嗅覚を持つ殺生丸には明るかろうと暗かろうとどのみち同じであるに違いないが、こうしてそばにいるものの身には、それもなかなか複雑な感情を呼び起こすことではあった。

 片手に青ざめた鬼火を浮かび上がらせ、奈落は障子へ手をかけた。

(殺生丸)

声をかけようとして、ふいに奈落は手を止めた。中からかすかな低い声が聞こえてくる。横になったままの殺生丸が何かを一人くちずさんでいるのだった。

(よしなのわれらが独り寝や かばかりさやけき冬の夜に 
         衣は薄くて夜は寒し 頼めしひとは 待てど来ず)

 頼めしひとは、待てど来ず―――そう繰り返して、その声はまたぽつりと途切れてしまった。

(―――殺生丸)

(待っているのはわしではない)

(わかっている。殺生丸が待っているのはわしではない、この奈落であるはずがないのだ)

 どう思おうともしようのないことであった。殺生丸の心の前には自分などまったく無きにひとしい存在なのに違いない。こうして部屋に閉じ込め、かたわらに寄り添ってその腕枕で眠らせてみても、殺生丸にとってはそれはただの索漠とした淋しい冷たい独り寝と同じことなのだ。たとえ一時体を重ね、肌を合わせ、唇を奪っても、その魂の純潔は奪えない。否、その心の内側に踏み入ることも、ふれることすら、相手は許す気はないのだった。

 殺生丸の云う頼めしひと、というのが誰なのか、奈落は知らぬ。殺生丸がその誰かをはかなく待ち続けているのか、それともあの、ちっぽけな人間の小娘が自分を待っているだろう、その姿を思い浮かべて、その心を歌に重ねてふと口に出したのか。

 はっきりしていることはただ一つ、自分ごときがどれほど側にいようと、殺生丸にとっては何のなぐさめにも癒しにもならず、道端の小石よりもとるにたらぬ代物のようにその目に映じているのだろうということだけであった。

「―――殺生丸」

 自らの気持ちを押し殺して、奈落はひくくささやいて室の中に滑りこんだ。手に浮かぶ雪洞めいた白い火影に、横たわる美しい若い妖怪の姿がぼんやりと浮かび上がる。長い絹のような銀髪は枕元に広がり乱れて、白い衣は腰のあたりまでしどけなく引き開けられ、雪白の肌に残る薄紅色の痕が生々しく妖しい色香をただよわせていた。

殺生丸は入ってきた奈落のほうを見もせぬまま、億劫そうに片手で衣をかきよせると灯から顔をそむけた。奈落はそのかたわらにそっと入りこんで鬼火を吹き消した。

「殺生丸」

 奈落はまた呼んだが、殺生丸は返事をしなかった。ゆうべ事に及んだあと、まるっきり身動きもせずそのままの姿で今までずっとこうして横になっていたようであった。

(殺生丸)

 ここにいるのはむろん奈落の望みではあったが、しかし同時に殺生丸自身の意志でもあった。もし奈落がその意に反して無理じいにおのが結界の中に閉じ込めようとしていたのだとしたら、今頃は文字通りとんでもない血を見る闘いになっていたであろうし、また事実、奈落ごときの力ではとうてい殺生丸をおさえつけて結界内に捕らえておくことなどできなかったに違いない。

(殺生丸)

 だからといって、今、こんな様子の相手を見るのは決して奈落の本意ではなかったし、また実際こんなふうになろうとは予想もしていなかったことであった。

 かたわらに静かに腰をおろすと、奈落はその白い体にゆっくりと手を伸ばした。殺生丸は暗闇の中で顔をそむけたまま、相変わらずじっとしている。奈落の手が優しく相手のなめらかな素肌を這いまわり、体の線をなぞり、下へとおりてゆく。奈落が手管をつくしても殺生丸はほとんど反応せず、ただ体を投げ出して相手の勝手にさせることを己に課しているようであった。どことなく虚脱したような様子が暗闇の中で身体を探っている奈落にも感じられた。

 奈落の指がようやく下腹部の一点にたどりつき、そこをゆっくりと弄びはじめる。主人の心がどんなに閉ざされていても若い肉体は刺激に反応せずにはいられない。奈落の手つきが動きを増し始め、白い太ももに力が入り、殺生丸の唇から遂にたまりかねたようなかすかな吐息がもれた。奈落はその両足を押し開いてそこに頭を埋めた。無理やり何かに突き動かされているかのように、白いのどが苦しげにのけぞった。
 外でヨダカのかん高い悲鳴が聞こえた。

 

 終わったからといって、何が変わったわけでもないようであった。奈落はまた鬼火をつけて、かたわらに生気のない人形のように横になっている相手を見た。

「殺生丸」

「・・・・・」

(こんなはずではなかったが)

 やつれた頬にかかる乱れた銀髪を無意識にととのえてやりながら、奈落は心のうちでつぶやいた。このまま、いたずらに荒淫にふけってみたところで何も得られるものはない。殺生丸は自ら作った檻の中へ我と我が身を閉じ込めて、夜毎自分が与える快楽を、ほとんど苦痛な責め苦のように感じつつも、それを拒まぬよう自らに無理やりに強いているように思われた。

誇りたかい殺生丸が無理強いに身体を投げ与えてなすがままにさせようとしている姿は、恐ろしく禁欲的で、それがためにいっそう悩ましく見るものの嗜虐をそそりたててやまぬ。

奈落はもう一度その身体を抱こうかというように、かたわらにおいた相手を見おろした。閉じた目の下に薄い翳を刷いて、美しいおもてはあおざめてやつれ、その姿は眠っているというよりも、疲れきってそこへ倒れ伏しているような印象であった。





トップ アイコンNext


トップ アイコントップページヘもどる