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木の下隠り :其の五

 小さなりんは、納屋のすみにいっそう身をちぢめて座っていた。ワラを積んだ奥には飴色をした小柄な牛が数頭おさまって、おとなしく干草をはんでおり、茶色い雌鶏たちが巣にすわりこんで羽をふくらませてうとうとしていた。外は晩秋の風に吹かれて冷え切っていたが、生き物たちの体温でここは至極あたたかく安全だった。

 少女は肌に突き刺さる外の寒さとたえず襲いかかる危険な妖怪とわずかな山菜や畑荒らしで空腹をなだめながら歩き暮らしていた日々を、恋しく思い出した。早くその生活に帰りたい。殺生丸はいつになったら自分を迎えに来てくれるのだろう?

 村の人々は決して少女に冷たくはなかった。この村は比較的豊かで田畑も大きいらしく、身寄りもなく山から連れてこられた少女を養うだけのゆとりは十分あるらしかった。りんはかたわらにおかれた木の皿を見た。皿には焼いた餅がのっている。昔、村にいたころには正月ですら食べられなかったご馳走である。

(庄屋の若嫁ごが子を産ましゃって、乳の出をよくするのに汁に入れる餅をついたけえ、おめえにも少し分けてやれてご親切なことじゃ。少し食べろてえ、うめえがら)

 殺生丸と道を共にするようになってから一度だけ、りんは団子にありついたことがある。めったに深い森からでない殺生丸が人里近くに出たおりに、偶然餅を焼いて食べさせる茶店を少女はのぞいてしまったのだ。

(お餅だ・・・)

香ばしい匂いでのどが鳴ったが、もちろん食べられようはずもない。りんはおとなしく道を通り過ぎたのだが、よくせき物欲しそうに見ていたのだろう。その夜、殺生丸はどこかへ姿を消してしまったのだが、邪見はふところから笹にくるんだ団子の一包みを取り出してくれたのだった。

(わあーっ、お団子だ!邪見さま、どうしたの?)

(どうしたもこうしたもないわい、だいたい殺生丸さまは何だってこんな小娘に使わなくてもいい気をつかって、こんな餅なんぞ)

(お餅じゃないよ、お団子だよ)

(うるさいわい、そんな人間の食い物の区別なんぞつくか、餅でも団子でもおんなじじゃい、いいから早いとこ食ってしまえ)

(うん、ありがとう、邪見さま!)

(礼ならわしじゃなくて殺生丸さまに言え、だいたいお前は人間の小娘の分際でだな・・・)

(ええーっ、殺生丸さまがお団子を買ってきてくれたの?)

(阿呆か、なんで殺生丸さまがそんな真似をするわけがある、これは殺生丸さまのありがたーいお優しーいお心遣いでな、お前が食いたそうだからわしに何とかしろと言いつけられたのじゃ)

(・・・そうだったんだ。殺生丸さま、どうしてりんの考えてることわかったのかなあ)

(殺生丸さまの鼻をごまかすことはできんに決まっておろうが)

(・・・?・・・・匂いで考えてることまでわかるの?すごーい)

(そそそういうこと言っとるんじゃんないわい。子供じゃな、まったく)

(殺生丸さまは帰ってこないの。一緒にお団子食べたいのに)

(帰ってくるわけないわ、まったく照れやさんの恥ずかしがりやさんなんだから)

(なあに)

(な、何でもない、ふん、大体殺生丸さまはお前に甘いんじゃ、わしがどんなに苦労してそれを取ってきたか、おい、りん、聞いておるか、あ、これ、そういちどきに頬張るなというのに、のどに詰まらすぞ、こりゃ、りん!)

 餅と団子の区別もつかないのがおかしくて、りんは笑いながらあぶった団子を邪見と二人で心ゆくまで食べ、阿吽のそばにもたれて愉しく殺生丸の夢を見ながら眠ったのだった。

(・・・殺生丸さま)

 皿をおいていった若い男は親切だったが、りんを外へ出してはくれなかった。少女は手をつけられぬまま冷めて固くなった餅から目をそらし、膝の間に顔をおしつけていじらしく涙をこらえようとした。

(殺生丸さま)

 心細さはたとえようもなかった。食べ物も暖かさも何も欲しくなかった。ただただ殺生丸のすがたが恋しかった。

 たとえばここが人間の村などでなく、ただの森の中だったり妖怪にさらわれたのだったとしたら、りんはこれほど心もとなく思ったりはしなかったに違いない。恐ろしく思いはしても、殺生丸は必ず探しにきてくれると信じきっていられただろう。

(殺生丸さま―――)

 人間の大人たちには、恐怖を感じこそすれ、少しも親近感は持てなかった。生まれ育った村で両親や兄弟を殺した野盗たちへの恐怖はまだ抜けきれていなかったし、その後過ごした村での日々でも大人たちは少しも優しくはなかった。むしろを立てかけただけの汚い掘っ立て小屋でボロつづれを着、乱暴な男たちに殴られたり蹴られたりも日常茶飯のひどい暮らしであった。

 殺生丸はもちろんあまり優しい声もかけないし、ただ連れて歩くだけのそっけない態度だが、しかし強くて頼もしくて、りんにとってはこの上なく優しく思われるこの世で唯一の庇護者、父であり兄であり恋人であり、そのすべてであった。そのかたわらはこの世で最も安全な場所、たった一つの安心してくつろげる場所であった。

 人間の村など少しも落ち着かなかった。ただひたすら殺生丸のそばに帰りたかった。

(殺生丸さま)

 不安なのはここが人間の村だからなのだということに、賢いりんは気づいていた。殺生丸は人間同士だからというので、自分をここへ置いて行ってしまうのではなかろうか。

(いや、そんなのイヤ、殺生丸さま!)

 この村に置き去りにされたら、また自分の生活は元の村でのそれに逆戻りになってしまう。どんなに優しくされようと、身寄りもない孤児として村の中で身を小さくして生きてゆかねばならぬことに変わりはない。以前のそうした生活がどんなに惨めなものだったか、誰にもわからないだろう。保護者もないよそものの女の子に同じ子供仲間がどんなに残酷か、自分の家族の居る子との差がどんなに大きなものか。

 人間の大人への信頼は失われて久しく、無理やりここへ連れてきた僧にも少女は好感はもてなかった。

(殺生丸さま、迎えに来て!殺生丸さま!)

 少女は納屋の天窓から夜空を見上げた。そこにあの白い髪をなびかせた若い妖怪の姿を見つけられるのではないかと期待するように。





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