考えこむように黙りこんでしまった息子の心をほぐすように、父はからかい混じりに言った。
「そなたにもう二度とこのような愚かな犠牲を強いたりはせぬ。約束する。まあ、わしの命の為にそなたが身を投げ出すようなこともさせぬから安心いたせ」
父は笑ったが、殺生丸は髪を振ってまたそっと父の胸に顔を押しつけた。
「そのようなこと、聞きたくありませぬ。父上の命がおびやかされるなどというお話は」
「はは、ただの例え話よ、冗談じゃ」
「冗談でもそのようなお話はなさいますな、聞きたくない、聞きたくありませぬ」
「これよ、殺生丸、本気にすな、ただの言葉のあやよ」
「・・・・嫌」
頭を振って殺生丸はその胸に顔をうずめた。当惑したように父がその背中を抱き寄せる。
「殺生丸―――どうした。震えているのか」
「聞きたくありませぬ―――父上の命にかかわる話など、ただの例え話でも私は聞きたくない」
「・・・・・・・・」
(こんなに誇りたかく苛烈で猛々しい気性を人に恐れられるくせに、ときどき驚くほど感じやすくて繊細なところを見せる)
いとしさはつのるばかりであったが、しかしまた、殺生丸がこんな感情を父である自分以外には決して向けぬというのも、父には本当は気になることなのだった。この自分に向けてくれるような、こんな優しいデリケートな心の動きをもっと他の者たちにも向けてやってくれたら、そうしたら、自分はこんなにこの息子のことを心配したりはしないのだが・・・
(やはり混じりけなしの妖怪の子・・・優しさなどはたやすく身にはつかぬものなのか)
(しかし、この父にできたことがそなたにできないはずはない、そんなふうに思うのは父のひいき目なのか・・・)
(殺生丸)
(やはり、これに必要なのは、命をつなぐ天生牙)
(だが、天生牙を使うことは、妖怪としての限界を超えること)
(あらゆる試練の中でもっとも困難なその道を、あえてそなたに歩ませ切ろうというのか・・・)
思いはいつもそこへ行き着くのだった。父はその思いを振り払うように、抱きしめる腕に力をこめた。
「では、もう言うまい」
「・・・・・」
殺生丸はしばらくそのまま黙っていた。それから心もとなげに顔を胸から離して白い手を父の胸元に伸ばした。父はその手をそっとおさえた。
「・・殺生丸。まだ早い」
「父上―――」
「拒まれたからとて、父に嫌われたなどとは思うなよ。そなたのためじゃ。無理はならぬ」
「――淋しゅうございます」
「それは父もだが」
「ではなぜ」
「まだそなたの心は十分回復してはおらぬ。本当に何も感じなくなると自分で自信が持てるようになるまで、待つほうがよいのじゃ」
はだけかけた前をあわせてやりながら、父は柔らかくなだめるように言いきかせた。
「深手を負うた傷が癒えても、まだ薄皮のうちは動かず見守るのが傷の治し方というものよ、そうではないか。心の深手とても同じこと、それに傷が痛む原因がわかったからといって、すぐに心が立ち直れるというものでもない。そなたの心があれを思い出しても、もう平然としておられると自分で感じるようになったら、そのときはいつでも来るがよい。だがそれまでは待て」
「・・・はい」
殺生丸は顔をそらして俯いた。性急にすべてを取り戻そうとするな、という父のいい分が正しいことはわかっていた。父の言うことはいつも正しいのだった。これ以上勝手を言って父を困らせることもできなかった。
父に求めてもらえぬことが、せつなく悲しかった。父はどんなときでも冷静で、自分にできることは何もなかった。
「困ったのう」
ふいに父の指が自分の頬をすべって耳朶にふれたので、殺生丸は目を開いた。
「抱けばそなたに無理させることは分かっておるし、抱かねば抱かぬでそなたの心を傷つけてしまう。やれやれ、一体どうしたものか」
激情にまかせて烈しく求めてほしいと願っても、かなえられないことはわかっていた。殺生丸は諦めたように淋しげな面持ちで、ひっそりとつぶやいた。
「いえ、もう・・・わがままを申しました―――」
父大将は正直いささか辟易して殺生丸の横顔をみやった。
(こう、うぶと申せば、まるきり気づかんのか、それも弱ったな)
殺生丸は父が内心自分の無意識の悩ましい様子に大いに心動かされており、自分を抑えるのにいたく難渋していることに全く気づいていないようであった。
(参ったな、どうもわしの自制心もこうきわどいところまで試されると閉口だが)
今のいくぶん淋しげな艶めかしさを帯びた有り様を見れば、どんな相手でも一撃で悩殺してしまえるに違いない。気がつかないのは本人だけで、そういう初心なところがまた男心をそそるということも、殺生丸は知らないのだった。
(危なっかしくて見ておれぬわ、まったく)
自分がこれくらいの頃には、もう少しこの手のことには経験を積んで、すれっからしていたような気もするのだが・・・
(こんなに箱入りに育てるのではなかった。今さら言うても遅いか―――)