体の脇で、殺生丸は愁わしげにひとみを彼方に向けたまま静かに横になっている。父はそっとその白い頬に手を添えてこちらを向かせた。殺生丸が何か言うより先に、父のくちびるが息子のそれと重なった。
(あ・・・・・父上)
優しく、静かな、だが激しく情熱的な口づけであった。殺生丸の目元にたちまち薄い朱が差して、引き寄せられる体がわずかにふるえる。父の銀白色の髪がこぼれ落ちて抱き寄せた殺生丸の顔を隠した。
(父・・・上・・)
からめられた舌の先から全身の力を吸い取られてしまうような、気が遠くなるような熱い接吻であった。体を重ね、愛を交わすより、はるかにエロティックで、深い愉悦の淵に引きずりこまれるような感じがした。全身が熱く息が苦しくなったが、父は許さず、なおも柔らかなくちびるを奪い、優しくいつくしむように舌の根元まで入りこむ。手足の力が抜けていくような、甘くしびれるような感覚に襲われて、殺生丸ののどからかすかな声がもれる。
「ん・・・ん」
こんな風に支配的な強烈なやり方を受けたことはなかった。殺生丸は何もかも忘れて熱情のままに求められる唇に翻弄されながら、父の舌の巧みな愛撫に完全に押さえこまれてうめいた。
(あ・・あ・・もう、気が遠のく・・・・・)
(父上―――)
肌を合わせたときに受けるあの陶酔よりもさらに深い陶酔が体を包みこんでいく。
知りたいのはたった一つのことだけであった。父が本当に自分を求めているのかということ、自分が待ちきれず求めたように、父もまた自分を待っていてくれるのであろうかということ・・・
陶酔の深みに引きずりこまれていきながら、殺生丸はこれが父の自分の問いへの答えであり、慰めであり、次の機会を待つことへの確かな約束を含んでいるのを感じ取った。
父のこんな優しい甘い愛撫を受けて過ごすのはここへ来て初めてであった。この口づけが永遠に続けばいい、と殺生丸ははかなく願った。
* * * *
ようやっと父が許して唇を離したあとも、殺生丸はまだ余韻に酔ったようにぼうっとして、目を閉じているままであった。父はわずかに安堵のため息をついて、そのおもてを見やった。
(てもハラハラさせられることじゃ)
息子が目を開いて見たときは、そばに寄り添う父はもういつもの父であった。
「・・・・父上」
「気がついたか。ちょうどよかった、今探しておったのじゃ、どこぞに鏡はないかとな」
「鏡?」
「そうさ、そなたのそのひどい顔をひとめ映して見せてやろうと思うての」
「!」
突然、ゆうべから着替えもせぬまま、ろくに顔も洗っておらぬ自分の有り様を思い出し、殺生丸は耳朶まで真っ赤になってふしどから抜け出そうとした。父がからかっておかしがる。
「顔はむくんでおるし目は赤くはれてひどい有り様よな。とてものことに一族きって美形とはいってやれぬぞ。しかもそんな破れた若布のような着物を着て、せっかくの錦紗が台無しじゃ。髪など枯れた柳のようではないか」
「!」
「ええと、どこかのう、鏡、鏡は―――と、お、あったあった」
「父上!」
「なんじゃ、今さら、それ、映してみい、それそれ」
梨地蒔絵の華麗な鏡立てからよく磨かれた銀の鏡をはずしてこちらへ向けるのへ、殺生丸があわてふためいて顔をそむけ、御簾を割って外へと逃げ出そうとする。
「父上、おからかい遊ばすな、すぐ着替えを、顔も洗ってまいり・・・」
「そなたがそんな泣いた目をこすったところを見るのは久方ぶりよな。なかなか可愛げがあって父の好みじゃが」
「か、可愛げなどと、いえもう、ですから見せていただかずともわかっております、わかっておりますというのに、もう、父上!」
声が聞きたくてならない父大将の耳に、初めて殺生丸が声をたてて笑うのが聞こえた。
(殺生丸―――やっと笑ったな)
「おまけになんじゃ、この足、泥だらけではないか。指貫はぼろぼろ、袂はずたずた、髪にツタの葉までひっかかっておる。さてはイノシシと争うてやぶにでも突っ込んだか」
「イノシシ!」
「髪も寝ぐせでスズメの巣のようになっておる」
「いえあの、ですから、すぐ髪も梳いて着替えてと、父上、その手をお放し下さらぬとどこへも行けませぬ」
「ろくに食べてもおらぬから力が入らぬのであろうが、自分の力で振り払ってみい、ほれ」
「父上!」
二人は親犬と仔犬のようにたわいもなくふざけあい、じゃれあい、たわむれあった。
「もうそんななりでは頭から湯にでもつけて洗ってしまうしかあるまい、こうと来やれ」
笑いながら抗議する言葉もきかず、ひょいと両手に息子の体を抱え上げて、父大将は室を出て一気に岩の源泉へと飛んだ。
白い芙蓉の花がはらはらとこぼれておちる。目にはさやかに見えねども、風はすでに秋の気配であった。
Fin