「辛かったであろう。言ってしまえ、己れに認めることを許してやれ。辛かったと」
「・・・・つろうございました」
殺生丸は目を閉じてかすれた声でささやいた。
「あんなことと・・・あんなふうに感じることとわかっておれば・・・、でもそうなるとは思わなかった。私は・・」
「自分を責めることはない、殺生丸、若いものは皆そうしたものよ。皆、自分だけは傷つかないと信じて、大人の驚くような挙にも出る。またそうした若さの無謀さゆえにできる冒険もあるのじゃ。しかしそれはまた両刃の剣であることも大人は知っているのよ。それゆえかたわらから案じてそんな無謀はするなといって忠告したり引き止めたりする、それが大人の役目というものなのじゃ。此度は父がその役目をうまくて果たしてやれなんだが」
父は優しくその髪をかきのけて額にかるくくちづけたが、殺生丸は従順にふれられるままになっていた。
「父がうかつであった。誇りたかく潔癖なそなたが、本来こうした俗な計略などにむいているはずがなかったのじゃ。それを目先の勝利にばかり目がくらんで、そなたの申し出を受けるとは。若いそなた自身にはわからずとも、父にはそなたが傷を負うか否かくらい見抜けて当然であったものを。全ては父の誤りであった。許せよ」
「父上、もう・・・殺生丸は決して悔いているわけではありませぬ。あれは妖忍どもを一網打尽にするにはどうしても必要な罠であったこと、今も疑ってはおりませぬ。またその計略も見事図に当たった上からは―――ただ」
「ただ?」
ふいに涙が頬を伝い、殺生丸は父の肩に顔を埋めた。父大将はつよくその体を抱きしめた。
「ただ―――もう、二度とは」
「わかっておる。殺生丸、わかっておる」
「二度とできませぬ、もう、二度と」
「殺生丸――」
横たえた腕の中で、押しつけられた肩にわずかな涙の感触が感じられた。殺生丸は声もたてず父の肩に顔を押しつけたまま、ただじっとしていた。
(・・・静かに泣くことよ―――)
涙の熱さを肌に直に感じながら、父はそんなことを思った。
息子の心がおさまるまで待って、どれくらいそうしていたかわからない。やがて殺生丸が顔を起こして恥ずかしそうに目元をそっとこすった。
「・・・落ち着いたか」
「すみませぬ−――見苦しいところを」
「なんの」
息子のこわばった心をときほぐすように父は微笑し、殺生丸もつられてわずかに笑みを見せた。濡れた睫毛がいっそうなまめかしさを増して、見るものの心を胸をときめかさずにはおかぬような笑顔であった。父は手を伸ばしてその睫毛の涙をかるく払ってやった。
「すまぬことをした。つらい思いをさせたな」
「・・・・私には今もようわかりませぬ。あのとき、あの下郎どもに身をまかせていたあの瞬間ですら、何もいやだともつらいとも感じぬ、肌にふれられても一時のことと、さして心は動かなかったものを・・・なのになぜ、今になってそんなふうに全てが思い起こされるのであろうかと、我が心ながら測りかねて――なのに、父上は、一体いつお気づきに」
「父か。そうだな、彼奴らを片付けたあとの祝宴の席でのそなたの様子からだの」
「・・・私はそんなにふさいで――」
「ふさいで、というのではないが、何やら怏々として楽しまぬふうではあった。もしや、と思うたのはそのときさ。試しに父と二人で来るかと言った時、そなたのあまり気の進まぬ顔を見て、ますますそう感じた。もしそなたに何心なくば、邪魔の入らぬところで父と二人になれるといえば随分と喜色を示してくれてもよさそうなものよ。それがそうでないというのは、もしや、とな」
「ご眼力恐れ入り―――」
「何をいう、可愛いそなたのことではないか、気づくのが遅すぎたくらいじゃ」
「・・・・・・・」
「なんじゃ、赤くなりおって」「―――いえ、あの」
「面と向かって可愛いなぞと言われると恥ずかしいとか。そなたは時々たいそう照れ屋じゃのう」
「・・・・」
「あ痛、これよ、そうつねらんでもよかろうが」
父が自分の気をひきたてるために、わざとそんな軽口を叩いていると察しはついたが、殺生丸はつりこまれていっそう赤くなった。だが父は、殺生丸がまだ何か心に残しているものがあると気づいていた。
「どうしたな、殺生丸。まだ何か心にかかることがあるか」
「いえ・・・ただ、自分がそんなに弱い心の持ち主だというのが、くちおしくて」
「弱いとは」
「・・・愚かと思し召すでしょうが、体を投げ出すくらいでこう打撃を受けるようなら、命を投げ出すことなど到底できますまい。自分はそんなに臆病で、意気地がなかったのかと」
殺生丸が本気で自分に失望しているらしい声を出したので、父はその心を察した。
「それは誤解というものよ、殺生丸。それは誤解じゃ。犠牲に見合うほどの代償ではなかったというだけのことだ」
「見合う?」
「そうさ、たとえば此度のことが、この父のためだとしたらどうだ。父の命を救うためにしたことだったとしたら、そしてそなたの行為のおかげでわしが命をとりとめたとしたら」
「それは・・・」
「父は多少うぬぼれておるやも知れぬが、父の命の為にしたことなら、そなたはこれほど衝撃を受けたりはしなかったのではないかな」
「・・・・・」
父の鋭さには内心舌を巻く思いであった。確かにそれほど大事なことと引き換えと思えば、自分はこうも苦痛を感じたりはしなかったに違いない。いや感じはしたろうが、自分で自分に納得させることはできただろう。今度のような行為は、それくらい重大なことの為にならやれても、軽々しく遊び半分につまらぬ計略のためになどするべきではなかったのだ。