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あにおとうと :其の八

「殺生丸ーっ、犬夜叉ーッ」
「殺生丸さま!」
「犬夜叉ッ、見つけたか!」

 駆け寄るかごめや弥勒たちの後ろに走ってきたりんが悲鳴をあげた。

「キャーーッ、殺生丸さまーッ」

 少女が叫んで駆け寄ろうとするのを、あわてた弥勒がうしろから引き止めた。

「殺生丸、やはりかわしきれなかったか!」
「犬夜叉ッ、きさま、殺生丸さまが弱っておいでなのをいいことに、あの鬼もろとも殺生丸さまも殺してしまおうと図りおったな!」


 邪見が杖をふりまわしてわめいた。

「ちがう!」

 犬夜叉が怒鳴った

「何が違う、現に殺生丸さまに向かって刀を振り切ったではないか!」
「うるせえっ、殺生丸がおれの刀避けきれねえなんてことがあるかッ、絶対よけられると思ったんだ、なのに、何だって、な、なんだってこんなことに」

 己れの迂闊さに歯噛みする思いであった。信じ難いことだった。あの殺生丸が、あの強力で酷薄で、完璧な妖怪の卓越した妖力を誇る兄が、たとえこの手で見参するのは初めてとはいえ、自分の刀を――爆流破をよけそこねるなどとは。

 犬夜叉は、確かに兄殺生丸に一目おいていた。圧倒的なその妖力、風の匂いを読み取る桁違いに優れたその力、恐るべき俊敏さと迅さ、その持てるありとあらゆる力に己のとうてい及ばぬものを感じ、恐れ、ある意味ではその強さを信じ、頼りきっていたのであった。いつ、いかなる場合でも、その強さは絶対にゆるがぬものであると・・・・

 知らず、その無意識の絶対的な信頼が犬夜叉の無謀な一撃となって振り下ろされ、そして、今初めて弟は思い知ったのであった。兄もまた血のかよった、時に弱くなる存在なのだということを。


 戸惑うのも後悔するのもすべては遅すぎた。支える腕の中で、銀白色の髪はこめかみから削がれ乱れて白い顔にかかり、見慣れた金色の切れ長の瞳は閉じられて、いつもとはまったく別人のように犬夜叉の目に映った。いつもは人に見せぬ横顔――美しく、物静かで気品のある、まだうら若い若者の貌が。

 茫然自失した犬夜叉とその腕にかろうじて支えられた殺生丸の様子をハラハラしながら見ていた珊瑚が声をかけた。

「とにかく、犬夜叉、そっちのカッパも、話はあとにしてまずはここを離れたほうがいいよ。周りじゅうに妖怪の死体がころがってるし、血の臭いをかぎつけて次の妖怪どもが集まってくる」
「誰がカッパじゃっ」
「珊瑚のいうとおり、場所を移すなら急いだほうがよい」

 弥勒も云った。

「・・っ」

 牙をかんで、犬夜叉は腕の下に手を入れると、両腕に兄を抱きあげたまま立ち上がった。さらさらと滑らかな髪が流れおち、頭が重たげに肩にもたれかかる。足元にはすでに大きな血だまりができていたが、抱き上げた指の間になおいっそう吹き出す生々しい血の感触があった。

「犬夜叉」

 かごめが心配そうに声をかけてくる。りんが弥勒の手を振り切って駆けよった。

「殺生丸さま、ケガしたの、殺生丸さま?!」
「・・・心配すんじゃねえ、すぐよくなる。小娘、あのいつも乗ってる騎獣、なんてんだ、あいつ使えるか」
「阿吽のこと?すぐ連れてくるよ」

 少女は身を翻して騎獣を連れようととんでいく。邪見があわてて後を追った。
 まだいくぶん茫然としていた犬夜叉は気づかなかった。背後でふいに何かガサガサという繁みを踏みしだくような音がした。

(え、なに?!)

 雲母の突然のうなり声に、弥勒がはっとなってふりむいたとき、かごめのきぬを裂くような悲鳴がひびきわたった。

「きゃあああーーーッ、犬夜叉、後ろ!」
「!」

 腕に怪我人を抱きあげたまま、愕然としてふりむいた犬夜叉の目に、先ほどの爆流破で吹き飛ばしたはずの妖怪の頭のない半身が、猛禽のようなツメをふりあげる姿がうつった。

(しまった、まだ生き残りが――!)
(間に合わな・・!)

 かまえた飛来骨も、駆け寄る弥勒の機敏も追いつかぬ。折れ曲がった鋭いカギ爪が不気味な鋼色に光り、犬夜叉の無防備な背中を引き裂こうと空を切って振り下ろされた。ザシュッという血の噴き出す音に、かごめは思わず目をつぶった。

「犬夜叉!」

 なすすべもなく両断された若い体が地面に叩きつけられる音は聞こえなかった。

「・・・殺生丸」

 犬夜叉はまだ兄を抱き上げて、振り向いたままの姿であった。その腕の中に抱かれたままの殺生丸が、最後のあらんかぎりの余力をふりしぼって半身を起こすや、犬夜叉の肩ごしに敵の心臓を刺し貫き、そのまま上へとなぎはらったのだ。

 引き裂かれた妖怪の体が心臓から砂のように崩れて消え去っていく。次の瞬間、殺生丸の右腕が血に染まった長い袂もろとも垂れ下がり、力を使い果たした金色の眼が閉じられて、その頭はたった今の動きが嘘のように半ば失神して犬夜叉の腕にくずれかかった。

「殺生丸、殺生丸っ」
「馬鹿が・・・・何のためにこの兄が、しとめたか確かめたと思って・・・」

 ゆすぶられながら、目を閉じた殺生丸が途切れ途切れにつぶやいた。わが弟の頼りなさ加減にはもうまったく心底からうんざりしたという調子であった。

「・・・殺生丸」
「・・・・・・・」

 もはや答えはない。雪のような髪もろとも目を閉じた血の気のないおもてが傾き、力のぬけた体が犬夜叉の腕に寄りかかった。腕の中で、兄は完全に気を失っていた。犬夜叉はその体を抱きなおすと、戻ってきた阿吽のほうへ走りよった。



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