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あにおとうと :其の五

 

「・・・いやな連中だ」

 初めて感想らしいものをつぶやいた兄に犬夜叉も同感だったが、こう取り囲まれては愚痴をこぼすゆとりもなかった。性懲りもなくおそいかかる一匹をヒラと横っとびにかわして、殺生丸が剣をふりおろす。剣圧もろとも心臓をつらぬかれた敵がほろほろと霞のように崩れさった。

「ちぇっ、心臓をやらねえとダメか」

 踏み込んだ敵の胴体を今度は犬夜叉が切り裂き、向こうへ宙で一回転して着地する。なかなか見事な動きだったが、妖怪たちは誘いに乗らず、なおも執念深く兄の白い姿にくらいついて追いかけた。

「っ!」

 白霊山の霊気の影響か、飛びすさった殺生丸の動きが半瞬遅れたすきをねらって、ふいに脇から伸びた一頭の妖怪の腕が、その白い体をぐわっとわしづかみにして引き寄せた!

 「しまった、殺生丸!」

 叫ぶ犬夜叉をしりめに、もう片方の爪で妖怪は殺生丸の体を引き裂くかと思われた刹那。

 「へへへへへ」

 間抜けな笑い声とともに、妖怪は殺生丸によだれを垂らさんばかりにニタニタ顔を近づけ、鋭い爪で引き裂くかわりにその腰の流水の帯にいきなり爪をひょいとかけて解いてのけたので、犬夜叉はあやうく卒倒しかけ、弥勒らは文字通り腰を抜かしそうになった。

 つかまれたままの殺生丸のほうは顔色も変えなかったが、解かれた帯がハラリと風に舞いとんだと同時に、あまりのことに毒気を抜かれて飛来骨を投げることも忘れ、唖然とした珊瑚やかごめらの前で、いきなり邪見の人頭杖が火を噴き、妖怪の頭に三方から怒りの攻撃が炸裂した!

 「殺生丸さまに何さらすんじゃ、このボケーッ!!!!」
 「てめえっ、ひとの兄貴になにしやがる、この変態ドスケベ野郎が!!!」
 「おなごの前で何という恥ずかしいことをするのです、この腐れ外道妖 
  怪!!」


 鉄砕牙と錫杖と火炎を一度にくらって、妖怪がよろめいたとき。

 「バカか、きさまら」

 半ばあきれたような、落ち着き払った声が聞こえたと思うと、いきなり白光が空をつらぬいて、妖怪の指が消し飛んだ!

白い雪のひとひらが宙に舞ったかと思えたせつな、振りかぶられた闘鬼神は雷撃の素早さで妖怪の体を上から下まで唐竹割りに叩き斬り、勢いあまって地面に激突して石は吹き飛び、凄まじい土煙りを舞い立たせた。

 まっぷたつに引き裂かれた体がズシンと音をたてて地に倒れるより早く、ヒラ、と銀髪をなびかせて、殺生丸が蝶のように軽やかに地におりたつのが見えた。雪より白いその髪は血しぶきのひとしずくさえ浴びていなかった。

「・・・・下衆が」

 ひとこと、兄が吐き捨てた。

「おのれ、くそいまいましい若造が!」

 ほんの一撫でで手に入ると思っていたに違いない手負いの相手にとんでもなく手ごわい戦いぶりを見せられて、思うようにならぬ成り行きに癇癪を起こしてわめいた若い鬼の矛先が、突然堂の入り口に立ちすくんでいた少女のほうに向けられた。

(!)

 犬夜叉がハッとなって振り向いたとき、真っ青になった少女は堂の扉をつかんでその場に座りこんでしまい、その前に鉄棒を振り上げた鬼が、それを力任せに振り下ろそうとしているところだった。

「しまった、ちくしょうっ、小娘、逃げろーッ」
「りんちゃん!」

 投げつけられた飛来骨が刎ね飛ばされ、焦ったかごめの矢が当て損ねて鬼の頭をかすめたとき、一陣の白い姿が疾風と化して鬼の背後に飛びこんだ!

「殺生丸さまーっ!」

 少女が頭を抱えて悲鳴をあげる。間に合わぬと見るや、殺生丸が口に剣をくわえて地面にすべりこみ、右手に落ちていた鉄棒をすくい上げて一気に高みへと跳躍した。グワシャッという骨のくだける凄まじい音がして鬼の頭がスイカのように砕け散り、投げつけられた鉄棒は砕いた頭を通りぬけて堂の屋根に激突して軒板もろとも吹っ飛ばした。

 ゆっくりとかたむく妖怪の体の下に白い毛皮が滑り込み、少女をさらい取った途端、首なしの巨体が土ぼこりを上げて堂の階段をメリメリと砕きながら倒れてしまった。殺生丸は既に少女を抱きこんでとびすさっている。

 「邪見!」

 たちまち迫る次の新手にくわえた剣を握りなおして殺生丸が叫ぶ。邪見があたふたとりんの手を毛皮のそばから引き離して阿吽に掻き乗せ、宙に舞い上がった。

 「殺生丸さま、殺生丸さまぁーーっ、邪見さま、殺生丸さまが」
 「ばかもん、お前がちょろちょろすると殺生丸さまのお邪魔になるんじゃ」
 「違うの、殺生丸さまの毛皮、血が」

 はるか下、背に流れる豊かな髪のすき間に、毛皮にしぶいた赤い血が見えた。

 (殺生丸さま、いかん、あまり血を流されては)

 「し、心配いらん、あれは鬼どもの返り血じゃ、殺生丸さまがそう簡単にやられるか」
 「だって、鬼の血は青いもん!」

 「ううううるさいわいっ、って、おわっ」

 下から投げつけられた石塊をよけて、邪見は阿吽の首にしがみついた。

 倒れていた首なし鬼がよろよろと立ち上がり、手探りに仲間を探してその体にしがみつく。とみるみるうちに二つの体は合体し、いっそう巨大な大鬼の姿となった。

 (ちっ、厄介な)

 思う間にも鬼どもの鉄棒が足元へ叩きつけられるのを防がねばならぬ。脇からとびかかってきた小鬼を体をひねりながら抜き手も見せず鮮やかに切って捨て、殺生丸の体が屍を飛び越えて向こうへ降り立った。とそのとき、

 (!)

 くら、と視界が揺れた瞬間、誰かが右腕をつかんで体を支えた。

 「殺生丸、どうした」
 「・・・・っ」

 何か言いかけるひまも、振り払うひまもない。濁声をあげながら鬼の鉄棒が兄弟の間に割り込み、二人はまた飛燕のように左右に飛び離れた。

 「ちいっ、すばしっこい奴らめ」

 牙をかんで妖怪どもがわめく。犬夜叉が敵から目を離さぬまま、低くささやいた。

 (どうしやがった、殺生丸。ふらつきやがって、てめえらしくもねえ)
 (・・・・)

 殺生丸は何も言わぬ。その目がいっそう険しく細められて危険な金色に光る。犬夜叉は横目で兄の様子をうかがった。常には汗ひとつ浮かべぬ涼しげな兄のひたいに、今は冷たい汗がひとすじ流れ落ちていた。



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