夜中に、ふいに犬夜叉は目をさました。横になったまま眠ってしまったようだった。兄の頭はまだ自分の腕の中にある。
(なんだ)
仲間も殺生丸の連れたちも離れたところでみな眠り込み、何も変わった様子はなかった。
(・・・気の、せいか)
(殺生丸)
何の気なしにかたわらに横たわる兄の手にふれた途端、犬夜叉の心臓はふいにドキンとした。
(な・・・)
(冷たい)
妖気の印を刻んだ白い手は、まるで氷のように冷たくなっていた。とても命あるものの手とも思えぬほどに、その手はヒヤリとして、血の色もなかった。
(せ、殺生丸――まさか)
仰天して犬夜叉ははね起きた。
「おいっ、冗談じゃねえぞ、まさか死んじまったんじゃねえだろなっ、おいっ」
のぞきこんだ兄の顔は蒼白く、伏せたまぶたは微動だにしなかった。
「殺生丸っ、しっかりしろ、どうしたんだよっ」
犬夜叉はその胸元をつかんで荒っぽく揺さぶった。だが相手は目覚めるようすもなく、ただされるままに揺さぶられているだけであった。銀白色の絹のような髪がさらさらとひたいの三日月を透かして顔にかかった。
(心臓)
やにわに犬夜叉は殺生丸の着物の衿をひっつかむと、その左肩から胸のあたりまで一気に引きはいだ。目にしみるように白い雪のような肌が露わになる。切り落とした左腕の傷跡に目もくれず、犬夜叉はそのむきだしの左胸の上に耳を押しあてた。
トクン、というかすかな鼓動の音が聞こえた。
(・・・・動いてる)
引いた血の気が一度に体に戻ってくるような気持ちであった。思わず犬夜叉は全身の力がぬけてしまったようなため息を吐き出した。
(・あ・・生、きて・・・)
「―――犬夜叉」
突然声が聞こえた。犬夜叉は顔を上げた。
「何をしている」
たった今死んだかと思った当の兄が、横になったまま金色の目を見開いて、不審そうに自分を見ていた。
(―――生きてた)
「何を間抜け面をしている」
「あ・・・・・・」
殺生丸は自分の片肌ぬいだ様子にチラと目をやった。
「きさま、この兄に不埒なまねを・・・」
「・・・・だっ、誰がそんなことするかよ、バカヤローっ!」
あまりに驚いたので、ホッとした反動で猛烈に腹を立てて、犬夜叉はどなった。
「てめえが悪いんじゃねえか、死人みたいな手ぇしやがって、まぎらわしいことすんじゃねーっ、このバカヤロー!」
「・・・・・」
眉をひそめた殺生丸をそのままにして、怒った犬夜叉はいきなり部屋の外へ飛び出していってしまった。
(・・・なんだ、あれは)
なんのことだかわからない。殺生丸には、犬夜叉がいきなり自分を起こして、無礼にも片肌ぬがせたうえ、怒鳴り散らして飛び出していってしまったとしか見えなかった。
(―――バカか、あやつ)
さっきまで残っていたせっかくの甘美な気分の名残りを吹っ飛ばされて、兄はいささか憮然としてその後ろをながめた。別に気分にひたっていたかったとは言わないが、急に乱暴な態度をとられてムッとするのは是非もない。
何度も煮え湯を飲まされていながら、殺生丸が今ひとつ犬夜叉をかろんじて認めてやる気になれぬのは、半妖であること以外に、この冷静な兄にはどうにも解しかねる感情の激しさ、その行動の唐突さもひとつの理由なのだろう。
(・・・ふん、どうせ、脳みそのかわりにカンナ屑でも詰まっているのだろう)
心優しい兄は無情にもそう簡単に決めつけて、そっと襟を合わせると、また目を閉じようとした。と、そこでふいに小さな温かいものが右手にふれるのを感じた。
「・・・・りん」
「殺生丸さま、手がとっても冷たいよ」
りんがひしとその手にしがみつくのを、殺生丸は不思議な気持ちで見おろした。
「殺生丸さま、死んじゃうの?ねえ、死んじゃうの?どうしてこんな冷たい手してるの?ねえ、どうして?」
「・・・・手が、どうした」
「おとうもおっかあも、死んじゃったときそうだったよ」
「・・・・・」
「死んじゃったときね、りんがさわったらとっても冷たくなってた。まるで今の殺生丸さまのお手手みたい、すっごく冷たくって、いくらさわっててもあったかくならなかった」
「・・・・」
「それで、おとうもおっかあもそのまま・・・・殺生丸さま!」
突然、りんは息を吹き返したように、殺生丸の毛皮に飛びついた。