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あにおとうと :其の十六

 

(ったく、手間かけさせやがる)

 ほっと肩の力を抜いて、犬夜叉は邪見が手渡した薬湯を、少女が横になったままの兄の元へ持っていくのを気づかれぬように横目でそっと見ていた。

 殺生丸はまだ血のついた自分の毛皮に頭をもたせかけたままだった。少女は心配そうに木椀をその顔に近づけたが、相手は億劫そうにいくぶんそちらへ顔を動かしただけで、頭を起こしもしなかった。

飲むどころか、実際はほんのわずか体を動かすことすらひどく苦痛なのだろうと犬夜叉にも察しがついた。気丈にも色にも見せないが、本当のところ、殺生丸が見た目よりもかなり参っているのは確からしかった。

 (ち、殺生丸のやつ、ひとりで薬も飲めねーほど参ってるくせに、強情はりやがって)

 腹を立てつつも、犬夜叉が手伝おうと身を起こしかけたときだった。

「待って、殺生丸さま」

 少女がふいに木椀から薬湯を口に含むと、横になったままの殺生丸の顔におおいかぶさった。

 (・・・りん)

 そのとき、殺生丸が何を感じ、いかなる思いを抱いたかはわからない。

 横たわったままの妖怪の唇に、少女がためらいもなくくちづけるのを、一同は茫然として見守った。

殺生丸は身動きもしなかった。ただされるがままに触れられた口から含んた薬湯が白いのどをつたい、そっと飲みほすのを、皆はなんともいえぬ思いで見つめていた。

 それは不思議に清純できよらかな光景であった。少女の無垢な純真さのせいなのか、それとも殺生丸のどことなく超俗的な現実離れした雰囲気のゆえか。

 見守る皆の前で、またりんは二度三度と薬を含み、口移しに相手の唇に含ませた。

 (きれいじゃなあ―――)

 七宝が感心したようにつぶやいた一言が、その場の全員の感じた想いを代弁していた。

 殺生丸とこの少女の関係はもちろん犬夜叉たちの想像のほかだったが、誇り高い殺生丸があえて自分をおさえて、この少女のために折れた理由がかごめにはわかるような気がした。

(けっ、恥ずかしげもなく小娘とくちづけなんかしやがって)

 赤くなった犬夜叉がぶつぶつ云った。

(何云ってんの、大人と子供じゃない)

(るせっ、人前でしらっとした顔してよ)

(お薬飲ませてもらってるんだから、別にいかがわしいことしてるわけじゃないでしょ)

(だ、だから、皆してジロジロ見るんじゃねえっつってんだ)

(何よ、ひとりで赤くなっちゃって、バカみたい)

(かっ、かごめ、お前な!)

 「お薬飲んだからもう大丈夫、殺生丸さま、早くよくなってね」

  何も考えぬりんが無邪気に言う。殺生丸は黙して答えなかった。

(何か云えばいいのに、無口なんだね。ね、法師さま)

(はあ、云うって何を?)

(そりゃ、ありがとうとか助かったとか何とかさ)

(云わんでしょうね、あの兄上の性格からして)

(どうしてあいつの性格そんなに知ってるの)

(だって、犬夜叉に似てませんか、そういうところ)

(負けず嫌いで意地っ張り?)

(しかも照れ屋で素直じゃないところとかね)

(ほんとだ、いわれてみると、そっくり)

(―――てめーら、聞こえてるぞ)

(あ、犬夜叉、聞いてました?)

(おれのどこがあいつと似てやがるんでい、つまんねーこというと承知しねーぞ)

(いやいや、言葉のアヤですよ、ア・ヤ)

(〜〜〜)

 雑音はもちろん殺生丸の耳にも聞こえていたが、彼は気にしなかった。犬夜叉の連れなど殺生丸にとっては田んぼのスズメも同様で、何をさえずろうと彼の知ったことではなかった。

紙燭の灯りにその瞳が妖しい金色に光る。りんが傷に薬をつけようとかたわらで布を広げ始めるのを、殺生丸は黙ったまま静かに目で追っていた。それが今宵の少女の振舞いに対して犬夜叉の兄が見せた反応のすべてであった。

 

                  * * * *

 

  満月の夜であった。炉の火も消え、人間たちもみな寝静まっていた。横たわった妖怪の乾いたのどから、何度目かのかすかな空咳がもれた。水が欲しかったが、体はまだ動きもならず、乾ききったのどをうるおすすべもなかった。熱っぽい体を少し動かして、殺生丸はまた少し咳き込んだ。ふいにそのくちびるに竹の水筒が差しつけられた。

 「飲めよ。のどが渇いてるんだろ」

 無愛想な口ぶりとともに犬夜叉がのぞきこんでいた。

 (犬夜叉)

 水を飲むどころの騒ぎではなかった。冷たい水はいきなり竹筒からあふれ出て横になったままの殺生丸のくちびるに流れ込み、むせた殺生丸が体をよじって激しくせき込んだので、犬夜叉はあわてて水筒を口から離した。

 「な、なんでい、しっかりしやがれ、水くらいでむせかえりやがって」

 荒っぽい口調を裏切って、狼狽した態度がその内心をのぞかせていた。




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