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あにおとうと :其の十五

 血の匂いは依然として濃く、出血はまだようようおさまりかけた、という程度らしかった。

 弥勒ら人間に見えているより一段深いところが犬夜叉には見える。見た目は静かでもさきほどの鋼牙とのやりとりは深傷の体にケタ違いの消耗を強いたことは疑いない。この上殺生丸を刺激して、ますます傷を深めるような真似をさせたくなかったが、今の兄に向かって弟の自分がおとなしくかごめの薬を受け取るよう説得できるとも思えなかった。

少なくともさきにここへ連れてきたばかりのときは殺生丸はまったく犬夜叉の腕に逆らわず、横にさせたときも、着物の中の傷の様子を見、肌にふれてその傷を探っても、抵抗せずふれるにまかせていたのだが・・・

(ち、あのバカの痩せ狼さえ出てこなけりゃ)

 いらざる出現で殺生丸の神経をかき乱し、深手のせいで一時的とはいいながら、幾分縮まっていたせっかくの兄弟の距離をだいなしにしてしまったことを犬夜叉は呪ったが、兄のほうは弟のそんな気持ちになどまったく注意を払うようにも見えなかった。

「・・・あの、殺生丸さま」

 邪見が何か言いたげに二人の間をキョロキョロしたが、あるじのほうは目もくれなかった。

(かごめ)

(かごめちゃん)

 ハラハラしながら七宝や珊瑚が身を乗り出した。半妖すらいやしんで側近くあるのを厭う誇り高い相手である。犬夜叉の兄が人間ごときの薬など受け取る気がないのはむろん、そばに近づくことすら許すつもりがないのは明らかだった。

 だが、かごめは引かなかった。

「・・・あなたのためじゃないわ、殺生丸。これはね、そこにいる女の子のためよ。あなたの連れてる人間の女の子の」

 犬夜叉は犬耳をピクとさせた。殺生丸は依然として顔色も動かさぬ。かごめは続けた。

「あなたが人間を嫌ってるのは知ってるわ。人間に恩きせがましく渡されるのなんかよけいなお世話だっていうあなたの気持ちも知ってる。だから私もあなたのために薬を作ったりなんかしない。でも私は人間だわ、そこにいる小さな女の子と同じに」

(かごめ―――)
「・・・・・・・」

「だから私は知ってる。人間がどんなにかよわくてもろいものか、どんなにたやすく簡単に死んでしまうものか。そこらのちっぽけな妖怪のほんの一撃、ほんの一噛みで、あっさり殺されてしまうものか。あなたがた妖怪にはかすり傷でしかない、ほんのわずかなケガや病気でも人間には命取りだわ。特に小さな子供には」

「・・・・・・」

「妖怪だけじゃない、人間同士も戦って争って、いつもどこかに死体が転がっている時代だわ。死骸を突つくカラスの群ればかり増えて、いつもどこかの村で死体が焼く煙が上がっていて。あの七人隊のような野盗たちがそこら中を襲って人々が逃げまどう。強い保護者がなければ、子供は生き延びられはしない。特に親も身寄りもない人間の子供は」

「・・・・・・・・・」

「私は人間よ。だから妖怪のあなたのことなんかどうでもいい。でもりんちゃんは人間だわ。あなたがいなければその子はどうなるの。犬夜叉だってこれ以上人間を抱えて守ってなんかやれないわ。私たちはみんなそれぞれ戦って自分の身くらいは守れるけれど、その子はそれもできない。今だって、もしあなたがそばを離れたら一日だって生き延びられるとは思わない。
 その子が生きていられる理由は、殺生丸、ただあなただけよ。あなたが生きているからその子も生きているの。あなたが死んだらその子も死ぬわ。あなたがケガをして動けない時間が長ければ長いほど、その子の命は危険にさらされることになるのよ」

 かごめは言葉を切った。

「お願い、薬を受け取って。その子を死なせたくないのよ」

 言い終わって、かごめが口をつぐむと、その場に深い沈黙が落ちた。

皆が息をつめて見守るなか、しばし息詰まるような沈黙が続いた。と、殺生丸が低い声で呼んだ。

「・・邪見」

「あ、ハ、ハイ」

 殺生丸はそれ以上何もいわなかったが、邪見があたふたと進み出るとかごめの手から薬湯の椀と薬を受け取ったので、皆はどうやら殺生丸が折れたらしいとわかった。

「ふー、どうなるかと思った」

 珊瑚がつめていた息を吐き出したとき、

「さすがはかごめさま、って、おや、かごめさま」

「おい、かごめ、どうしたんでい」

 突然かごめがへたへたとその場に座り込んだので、一同はあっけにとられた。

「こ、こ、こわかったー・・・」

「かごめちゃん、ちょっと大丈夫?」

「こ、こ、腰が、ぬけちゃって、う、う、動けない〜」

「なんだよ、だらしねえ、ほれ」

 おどろいた犬夜叉がひょいと後ろから抱えあげて、炉のそばへと座らせた。

「だ、だって、も、ものすごく怖かったんだもん、あんたのお兄さん、迫力ありすぎ
て〜」

「・・・そのわりには平気で話してたじゃねーか、何言ってやがる」

 口悪く犬夜叉は云ったが、しかしその目には隠そうとしても隠し切れない、かすかな安堵の色があった。




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