「俺は誰にも指図は受けねえ、その犬夜叉の兄上とやらが俺を追っ払いたいなら、てめえでかかってくりゃいいじゃねえか。手負いだろうが何だろうがかまうもんか、俺はよろこんで相手になるぜ」
「鋼牙、よさんか!」
(バカが、こんなときに殺生丸を挑発するなんて)
(しょうがねえ、いざとなればおれが盾になる。殺生丸だってあの傷だ、そうは動け
ねーよ)
(何を言っている)
犬夜叉の甘いいいぐさを弥勒が手厳しくさえぎった。
(お前たちがじゃれあっているのとはわけが違う、殺生丸が本気でかかったら鋼牙に
太刀打ちできると思うか)
(けど、あの傷だし・・)
(あの傷だから手加減ができんと云っているのだ。殺生丸も無傷のときなら追い払う
だけだが、今はそうはいかんぞ。なんとかして止めねば)
(だから、いったいどうやって止めるんだよ、鋼牙の奴、やる気満々じゃねえか)
(馬鹿をいえ、お前は鋼牙を死なせたいのか。手負いの虎ほど危険なものはない、鋼牙
は自分がどういう立場にいるか全然わかっておらんのだ!)
「なーにをぶつくさ云ってやがる、小娘なんぞに遠慮してこの鋼牙さまの狼どもが逃げなきゃならねえ義理はねえよ。それとも何か、この俺とやろうってんなら相手になってやるぜ、犬ッころの兄貴さんよ!」
鋼牙が怒鳴ると同時に、興奮した狼たちがいっせいに牙をむき出してものすごい唸り声をあげた。
「きゃああっ、こわいいいっ」
りんが悲鳴をあげてその力のあらんかぎり殺生丸の体にしがみついた。
殺生丸の爪がギラリと妖しい毒の青に光った。
「殺生丸ッ、やめろ、鋼牙はかごめに会いに来ただけだ、小娘に手だしなんかしねえ、気を静めろ、頼むから―――」
言いかけて、兄の表情を見た犬夜叉はぞくりとした。
少女は色を失って兄にすがりついていた。この小さな娘の怯えが殺生丸の怒りに油を注いでいることは疑いなかった。その眼を一目みたとたん、犬夜叉は文字通り全身の毛が針金のように突っ立つのを感じた。
兄の様子は変わっていた。
燃えるような眼―――それはまさしく燃えるような眼だった。その視線は今や鋼牙の上にぴたりと据えられて微動だにしなかった。打ち続く出血のせいで蒼白な顔色のなかで、燃える黄金の眼の背後にゆっくりと揺らぎたつ巨大な妖気の圧力に、犬夜叉は戦慄した。 少女の悲鳴にかきたてられた怒りの水位は突然危険な領域にまで高まっていた。
(・・・やめろ、殺生丸、ダメだ、声が、声が出ねえ)
(・・・・・痩せ狼・・・・バカ、何してる・・・逃げろ・・・・!)
機を見るに敏な鋼牙が逃げなかったのは見得をはっていたからではない。その威嚇のあまりの強烈さともの凄まじい妖気に完全にねじ伏せられて、体が動かなかったのだ。
(ち、ちきしょう、あ、足が、動かねえ)
脂汗をかきながら、鋼牙は焦ったが、体は恐怖に硬直したようになっていた。殺生丸は一瞬たりとも目をそらさなかった。その激怒に燃え上がる妖気の熾烈さはほとんど手にふれられそうなほどで、その口元からわずかにむき出された牙が示す怒りの激しさが、さしも豪胆な鋼牙の背筋を凍りつかせた。
(なんて妖気だ、くそっ、なんでこんな)
殺生丸のはなつ熾烈な怒りの炎は鋼牙のみならず、その場にいる全員を完全に押さえこみ、その異様な力は弟犬夜叉をも圧倒した。その燃える眼はいまや何かにねらいをつけるかのようにゆっくりと細められてゆき、その狙いの先にいる若い妖狼族の長は絶体絶命の窮地に追いつめられて手も足も出なかった。破局は目睫に迫っていた。
(なんて妖気だ、奈落と戦ったときでさえ、こんな強烈な妖気に出会ったことはねえ)
鋼牙と同じことを、犬夜叉も思った。
(・・・どうする、どうすればいい、殺生丸は、鋼牙を殺す気だ)
たとえ兄が深手を負い、鋼牙が四魂のかけらの力を借りてもなお、彼我の潜在的な妖力に圧倒的な差がありすぎる。鋼牙の俊足も、殺生丸のそれをかわし得るとはおもわれぬ。ひとたび兄が全力を傾けて相手に狙いをつけたら最後、瞬息の間にすべては決まってしまうだろう。