雨は降りはじめるなり、たちまち氷雨となって勢いを増してきた。
「ちっ、しょうがねえな」
弥勒が舌打ちして空を見上げたとき、宿を探してとびまわっていた珊瑚が雲母の上から声をかけてきた。
「少し行ったところにお堂があるよ、あそこで宿をとろう」
「おお、よかったのう、かごめ」
「あ、うん、そうね、七宝ちゃん。急ごう、犬夜叉」
振り返ったかごめは、犬夜叉の表情をみて驚いた。
(ち、あいつ、まだこの辺りをふらついてやがったのか。なんだってこんなところで) 「・・・犬夜叉?」
「・・あ、ああ、しょうがねえな、行くぜ」
夜目にも目立つ純白の髪をふって、犬夜叉は走り出した。
(この雨だ、出会ったところですぐに血を見ることもなかろうさ。そうなったとしたところで、そんときゃそんときだ。殺生丸の野郎なんぞこのおれの鉄砕牙でぶった斬ってやる)
そう内心思いつつ、犬夜叉とその一行は森の中のお堂にたどりついたのだったが・・・
「うわあっ、つっめたい、」
「早く火をたかんと風邪をひくぞ、かごめ、おう、犬夜叉、何ためらっとんじゃ」
(ちっ、剣呑な。かといってこれから他に行くあてもねえし)
「入りましょう、犬夜叉、珊瑚」
堂の中に足を踏み込んだ弥勒はいきなり七宝を抱いて棒立ちになったかごめの背にぶつかった。
「あたた、どうしたんです、かごめさま、こんなところで・・って、うわ」
「どうしたの、法師さまってば、あ、・・・あれ」
「・・・・殺生丸」
夜目にもしるく輝く銀白色の髪でそれと知れる。犬夜叉が入るのをためらった理由が、暗い堂内の奥の壁に、ひっそりともたれかかっているのが見えた。
「これはこれは、奇遇ですね、こんなところで」
とっさに弥勒が軽口をたたいたが、一行の中にはたちまち緊張が走った。
「な、なんじゃきさまら」
人頭杖を手にあわてて出てきたのは殺生丸の供、邪見である。
「この人間ども、殺生丸さまがお休みと知って割り込んできたのか、さっさと出て行けい、この半妖めが・・フギッ」」
「う・る・せ・え」
皆まで言わせず、ふみつぶした邪見を足の下でジタバタさせながら、犬夜叉が云った。
「てめえも雨宿りか、殺生丸。わりいが今夜はおれらもここで世話んなるぜ。かまわねえだろうな」
「・・・・・」
殺生丸は無言である。弥勒はオヤと思った。
(いつもの半妖がどうこうというセリフが出ないのはどうしたわけか・・・妙だな)
(法師さま、気づいてる?なんだか、いつもの殺生丸と違うね)
(お前もそう思いますか、珊瑚)
(うん、遠目ではっきりしないけど、なんだか―――具合でも悪いのかな)
「おい、殺生丸」
「・・・・勝手にしろ」
そっけない答えであった。しかし、その声の調子にかごめはふと違和感を覚えた。
(どうしたのかしら、少しだけど声がかすれてるみたい・・・)
「火ぃたくぞ、てめえら、とっとと着物乾かさねえと」
「あ、ああ」
「おう」
ようやくついた炉火の明かりで、毛皮を背にもたせかけている殺生丸の足元に、小柄な少女が座り込んでいるのが見えた。
「ねえ、犬夜叉」
かごめはささやいた。
「殺生丸、どうしたのかしら。いつもと違うわ。だるいのかしら。なんだかちょっとしんどそう」
「けっ」
不機嫌そうに犬夜叉は吐きすてた。
「ほっとけ、かまうとろくなことにならねえぞ。おれだってこんな雨の夜にこれからあいつとチャンバラやるなんざごめんだからな」
「でも―――」
火の向こうで、目を閉じて殺生丸は身動きもしない。ひざにかけた右手の甲に真新しい傷跡が走っているのをかごめは見て取った。まだ治りきってないんだ。白霊山の戦いでかな。
(ね、かごめちゃん、)
(あ、珊瑚ちゃん)
(殺生丸、顔色悪いね)
(やっぱりそう思う?見た目はいつもと全然変わらないんだけど、なんていうか、なん となくつらそうな感じが伝わってくるの)
(ほんと?やっぱりそうなんだ)
(かごめさまがそう感じるのなら、きっとそうなんでしょう。しかしいったいどういうわけでしょうねー)
「りんちゃん」
かごめは干し柿を手にして、殺生丸の足元にいる少女を呼んだ。
「ね、おなか空いてるでしょ。干し柿食べない?こっちに来て、ちょっとかじってみて、ね」
少女は殺生丸のほうを見たが、相手は相変わらず身じろぎもしなかった。ためらうようにその顔をまた見上げてから、りんは足音をしのばせて、火のほうにやってきた。殺生丸が薄目を開けて、ちょっとこっちを見たのに犬夜叉は気が付いた。
「ね、これ食べて。今日はずっとここにいたの?」
「うん・・」
「一日?」
「そうなの・・・あの、」
もともと人恋しいおしゃべりな少女なのである。かごめの優しい口調にひかれて、りんは自分から話しだした。
「殺生丸さまがね、ちょっとお疲れみたいだからって邪見さまが」
「え、疲れた?」
「うん、あのね・・」
りんは白霊山での一件をしゃべった。橋のたもとで変なくねくねする剣をふりまわす相手に出会ったこと、殺生丸が戦っている間に橋を渡ろうして、今度は鉄の爪をつけた怖い相手に襲われて橋から落ちたこと・・・
「それでね、その人に連れてかれて、お山のふもとまで行ったの。そうしたら殺生丸さまが先回りして待っててくれて、それで・・」
「ちょっと待て、そのふもとってーのは、白霊山の麓のことか」
犬夜叉が割り込んだ。
「あそこは聖域の結界が張られてたはずだ。殺生丸の野郎、あそこに踏み込んだのか」
そこで殺生丸は七人隊の二人と戦って倒し、一人は桔梗らしき巫女に浄化され、一人は逃げ去ったということだった。
犬夜叉らは顔を見合わせた。
「なんてまあ無茶をする。完全な妖怪の身であの強烈な聖域の中で敵と戦うなんて」
「察するにその敵っては蛇骨と睡骨だな。バカが、妖怪のくせしやがって、命知らずにもほどがあるぜ」
自身が聖域に突っ込んだときの、全身を走るすさまじい重圧と霊気の障壁の激しさを思い出して、犬夜叉は身震いした。半妖である自分は、そこで人間に戻るという手があったわけだが、純粋な妖怪である殺生丸にはそういう逃げ道はなかったはずだ。むろん妖力の強いぶん、受けた圧力も霊気の凄さも自分よりはるかに激烈であったに違いない。
「妖怪にとっちゃ、人間が奈落の瘴気を浴びながら戦ったのと同じようなもんだ。そりゃしんどいだろうぜ」
「しかし、よくそこで七人隊と戦うほどの余裕があったね、しかも二人同時に敵にまわしてなんて」
「あの聖域の中で浄化もされず七人隊と対等に渡り合うとは、さすが大妖怪の面目躍如といいたいところですが、なるほどそれでですか、聖域の結界の影響で・・」
「きっとその子を囮にして結界に引き入れて倒すつもりだったんだね。でも返り討ちにあったわけだ」
さしもの七人隊も犬夜叉の兄であるこの大妖怪の敵ではなかったわけだが、聖域の霊気のほうは仮借なく妖怪の体に襲いかかり、人間が瘴気を吸って苦しむように、今も浴びた霊気の残滓が殺生丸を苦しめているのだろう。