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淡雪の記憶: 其の六

 少なくとも、今夜はまだ夕べのような悲鳴はあげてはいない、と殺生丸はぼんやり思った。それとも自分では気づいていないだけで、本当は何か叫んでいるのだろうか。何か口に噛ませてくれるものが欲しい、もう声を出したりしないように、口をふさいで、ああ、この、この感覚は、父上、ああ、父上・・・

金色の目は次第にかすみがかかったようになってきたが、後ろ手に押さえこまれたまま、されるがままになっている体のほうは、解放されるには程遠いようだった。突き上げられるたび口からもれる息が次第に荒くなっていく。

「んっ、んんッ・・・」

「どうだ、殺生丸、少しはこなたのほうから応じてみせるものぞ、何も感じもせぬか、それとも」

 白い耳たぶのはしをねぶりながら、父がいたぶるように云う。白い背中がのけぞり、殺生丸が全身を震わせた。奇妙な体の奥に生まれた感覚が、少しずつ大きくなっていくような何ともいえぬ気がしてきていた。自分の中の潔癖な何かがその裂け目が大きくなるのを戦慄して拒み、もう一人の自分は恐れずにすべてをゆだねてその感覚を受け入れろと告げていた。

 初めて殺生丸は父が自分を導こうとしている先を恐いと感じ、同時に父が与え、受け入れさせようとしているものが何であるかを直感的に理解し感じ取った。体の殻をこじあける、という言葉の意味が、今少しずつ肌で、体で、父のそれを受け入れているまさにその場所の奥で感じ取れていくようであった。

「父上・・・・父上・・・私はこわい・・・」

 ささやくように云った声を、ようやく手を放したたくましい腕が後ろから抱きとめた。

「こわがることはない・・・殺生丸・・・・そなたは感じている・・・すぐそこまで来ている・・・わかっているはずだ・・・殺生丸・・・・」

「あ・・・・体が・・・・熱く―――」

突き上げる力に抗しきれなくて、体の深奥から湧き上がるこの禁断の狂おしい感覚にどうしていいかわからぬ態で、長い雪のような髪を乱した悩ましげな美貌があおのき、自分の前にのばした手が父のつれない手に残酷に払いのけられる。

「ああ・・・父上」

「どうした、こちらを向け、向かぬか、向けというのに」

「あ、あ、嫌、こ、こんな」

「こんな、何じゃ、こうと足を持ち上げられているのがか、それともこう可愛がられるのに耐えられぬのか」

 こんな仕打ちを受けながら、こんなふうに肌が熱く体が脈打つ理由がわからぬ、と殺生丸は云いたかった。しかも今その仕打ちを途中でやめられたら泣いてやめないでくれとすがってしまうに違いないこともわかっていた。

 父がまた強引に体をひねって、自分のほうへ殺生丸の体を向けなおす。足の間にたくましい父の体をはさみこまされ、向かい合わせに足の上に座らされて、殺生丸は喘いだ。快楽というものが、今まさにこの若き妖怪の白い肢体の中に入り込もうとしているのだった。

「あ・・・・あ」

 苦痛か、恐れか、それとも禁じられた快美の予感にか。体の震えはもはややまず、殺生丸は自分があさましくも淫らな足を開いた姿勢をとらされていることも忘れて、父の胸に顔を押しつけた。

「なんという顔をする、どうした、応じたいのか、応じたくないのか、殺生丸、ん?」

「あ・・・あ・・・あ・・・」

「なやましげな声を出しおって、まだ手向かうか」

 父の手が容赦なく長い髪をつかみ、ぐいと後ろへ仰のかされる。むきだしにされた白い胸に浮かぶ乳首が舌先でころがされる、ほとんど痛覚にも似たこの、感じ・・・

 のどの奥から押し殺したうめきがもれる。せまりくる快楽の予兆に殺生丸の体はおののき、最後の抵抗かその足を閉じようと必死に抗う腰が浮き上がった。

「あっ!」

父がその頬に思い切り平手打ちを食わせたので、殺生丸の口からかすかな悲鳴がもれ、目に涙が滲んだ。もう一度、今度は反対の頬を打たれて、腰を引き寄せられる。

そういうわがままが通用すると思うか・・・来い」

 父の強引で残酷な仕打ちが、しだいに強まる快感を掻き立て、白い肉体をなおも追いつめる。

「ひぃっ、ああっ・・・許して・・・父上・・・」

「だめだ、許さぬ」

「アウッ、父上!」

「・・・殺生丸」

「父上・・・父上・・あ・・・・」

「来い・・・来い、殺生丸・・・」

 耳の中に父がささやきかける妖しい甘い息づかいが感じられる。不安定な姿勢がいっそう快楽の感度を高め、最後のかよわい抵抗をはぎとられて、ようやくひきつる肌に浮かぶ怯えが欲情のそれに取って代わり始めるのを、父はわずかに感じ取って吐息を洩らした。むきだしの白い鎖骨の上をくちびるでなぞりながら、最後の追い込みを仕掛けようと動きをはやめる。
 殺生丸の白い肢体が湧き上がる悦楽の波の激しさに耐えかねたようにのけぞった。かけられた爪が肌に食い込み、父の体にも衝撃が走った。

「父上、父上、もう・・もう・・ああ!」

「殺生丸!」

 二人の声が半ば重なった瞬間、ついに封印は破れた。

体は内から溶けて真珠のように溢れこぼれ出た。ほとばしる歓喜の極みに、これまでまったく知らなかった気の遠くなるような追い上げられた快楽が四肢の爪の先まで走り抜け、肢体は痙攣するように震えた。絶頂の瞬間、父の金色の瞳が怖いくらい近くに迫るのが感じられ、その眼にほのかな満足の色が浮かぶのを殺生丸は見たと思った。

覚えていたのはそこまでであった。目の前が暗くなり、突然手足の力は抜けて、殺生丸の意識は溶暗のうちに落ち込んでいった。

 

 愛の行為に全身の力を使い果たしたあとの、あの短いが引きずりこまれるような深い眠りに、殺生丸も引きこまれていたようであった。ぼんやりと目をひらくと、またのぞきこむ父の顔があった。

 父上はいつものぞきこんでばかりだ、とおぼろな意識の中で殺生丸は思ったが、その目にはここ数日で見慣れたあの心配そうな表情はなく、代わりにわずかな安堵の色があった。父に見られているというより、一人の大人の男に見られている、という感じがした。

(父上―――別人のようだ)

こんなに精悍で男性的な感じを持つひとだったろうか、と殺生丸はまたぼんやり思った。力強くて頼もしくはあるけれど、こんなふうに感じられたことはない。父が変わったのだろうか。それとも自分がどうかしているのだろうか―――

(ああ、この腕――温かい)

 殺生丸はまた目を閉じた。疲労は体をおおっていたが、少しもつらくはなかった。そうだったのか。それではこれがそういうことなのか。かれは口元に微笑を浮かべた。

(何もこわがることはない。もう、何も)

「・・・殺生丸」

 優しく呼ぶ声に、息子はふたたび目を開いた。周囲のすべてがくっきりと鮮やかに迫ってくる感じであった。目に見える色も、風の匂いも、音も、何もかも・・・

「殺生丸」

「―――父上」

 白い夜着を巻きつけて膝の上に横抱きに抱え寄せられていることに、殺生丸は気づいた。裾は合わせられ、膝は閉じられて、さいぜんの名残はただ、体のうちに残る熱気のみであった。父ははだかのまま、肩に薄い衣をはおって、自分を見おろしていた。ようやっと二人の目が合い、父は笑った。

「どうしたな、殺生丸。別人を見るような目でひとを見て」

「・・・・こんなに、危険な匂いをお持ちだったかと」

「―――こわいか?」

「はい―――いいえ」

「なにを笑っている」

「笑ってなどおりませぬ」

「いいや、笑っている」

 父の手が白いあごをつかんで仰向かせた。だがその金色の眼はもう恐れてはいなかった。

「・・・私は知らなかった」

 上向かせられたまま、殺生丸は静かにささやいた。

「こんなふうだったとは――父上」

「・・・・めざめたか」

「私は、何も、知らなかった。こんなに・・・・」

「殺生丸・・・」

 父がそっとその唇に顔を近づける。

「父上・・・」

「殺生丸・・・この父が、欲しいか・・・・」

「父上・・・」

 返事の代わりに妖しい模様を刻んだ細い手が伸びて、父の背なにからみつく。

「返事をせよ、殺生丸・・・欲しいか・・・」

「云えませぬ・・・そんな・・・・」

「云え・・・云わぬか・・・・殺生丸・・・・」

「恥ずかしくて・・・・」

「嘘を申せ・・・・」

「ひどい・・・父上・・・・・」

「殺生丸・・・・」

 父の唇が初めて自分の唇にふれ、やさしくなぶるようにそのふちを噛み、柔らかくくちづける。白い歯を割って甘やかに舌が入り込み、応じる自分のそれと絡みあう。巧みなその動きにもてあそばれるだけで、鋭い電流のようなものが全身を走った。

 目を閉じて官能にかすかなあえぎをもらす息子の顔を、父は薄目でそっと見た。今はどのようにその体を責め苛もうとためらう必要はなかった。殻は完全にこじ開けられ、閉じた宝玉は穿たれて、ついにその真の形が姿を見せようとしていた。



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