明けて二日目の夜は過ぎ、三日目の朝である。夕べの余韻はなお寝所の帳の内にただよい、錦繍のしとねはようやく乱れて、昨夜も続く儀式のつらさに、結界の臥所に長い髪を乱して横たわる殺生丸の白いおもては冴えなかった。
(あ、あ・・・父・・上・・アアッ・・・!)
(力を抜け、抜かぬか、殺生丸、えい、言うとおりにいたせ!)
(ひぃっ、あ、ああっ、父上、父上、あ、ああ・・・・)
からみ合う髪、乱れた袖、肩まで脱げかかる白い絹の夜衣より真っ白な胸元にに点々とつく紅い口づけの痕・・・・
(あっ痛、牙をたておったな、ここな気の荒い若犬めが)
めくれた裾より体を割って無理強いに押しすすめるたび、殺生丸ののどから絞り出される苦痛と悲鳴の入り混じった喘ぎ・・・
(あ、アゥッ、父上ッ、父・・・あふっ、や、やめ・・・あ、苦し・・・)
(やめて、ほしいのか。やめるか、殺生丸)
(いいえ―――いいえ!)
(なら、そんなに固くなるな――つっ、だから、そう背にツメを立てるなというのに、逆らいおったな、どうしてくれよう)
(いっ、アアアッ、アアーーーッ、もう息が・・・もう、死・・・あ・・・・あ・・・)
前夜、父が閉口して言ったとおり、この夜も最後のほうは、もうほとんど拷問か仕置きかという有り様であったので、明け方近くに殺生丸が失神したときには、父大将のほうがむしろほっとしたほどであった。
「どうでも続けるか、殺生丸。父はあまり気がすすまぬが・・」
「父上」
「そう責めるような顔をするな、こなたのせいぞ」
「私の?」
「当たり前だわ。夕べ自分がどんな悲鳴をあげておったのか覚えておらぬのか?こなたのとんでもない悲鳴が結界を突き抜けて外まで伝わったものだから、家臣どもがお前、いったいそなたにいかなる落ち度があっての、かようの責め折檻かと大騒ぎよ」
「・・・・・」
「内輪の儀式ゆえ口をさしはさむなと言ったら、どんな儀式か知らぬが、そのような儀式などまだ若いそなたには早すぎる、大妖怪の身とはいえさても厳しき仕打ちよ、非情の父よと散々じゃ。女どもめ、“殺生丸さまがおかわいそう”だなどとぬかしおった。そなたがおかわいそうだと!かわいそうなのはわしのほうだ。まったく、話にならん」
殺生丸はくすくす笑い出した。途端に傷に響いて痛みが走り、それが顔に出たので、父がおどろいて手を伸ばした。
「痛むか」
「いえ・・大事ありませぬ」
「やはり此度のことは父の早計だったかのう。こう後からそなたの身が気づかわれるくらいなら、最初から許すべきではなかったが・・・」
「父上・・・」
父はため息をついて殺生丸の頬をなでた。
「のう――どうでも考えは変わらぬか。あせって継承の儀など受けずとも妖力はいずれ強まる。こなたの体のこともある。あまり無理はせぬほうがよいのだが・・・」
「儀式は三日」
殺生丸は静かに言った。
「それも続けて行わねばならぬと仰せられたのは父上のはず。ここで引いては昨日今日の我慢も水の泡ゆえ」
「ひかぬと申すか。ちと厳しいぞ、今宵のそれは」
「もとより承知」
短く息子は答える。やれやれというように父は手を伸ばしてその見事な絹のような白い髪をかきあげてやり、そっと夜の衣をそのむき出しの肩へかけなおしてやった。
「ともかく、酒など持って来させるゆえ、少し休んでおれ。御簾より外へ出てはならぬ。よいな」
「・・・」
乱れた臥所に白い手足を伸ばしてゆっくりと横たわったまま、殺生丸は金色のひとみで出て行く父の背中をながめていた。結界の向こうからかすかな甘く芳醇な酒の香りが漂ってくる。傷をかばう愛息の気付けにと、父がわざわざ秘蔵の美酒の封を切らせたのだろう。
父が手づから瓶子を持って結界のうちに戻ったときには、殺生丸はもうかすかな寝息をたてていた。
(殺生丸)
西国の大妖怪と呼ばれる父は、音もなくそのかたわらに座り込み、眠りに沈んでいる息子の横顔をじっと見下ろしていた。まだ稚さの残るこの寝顔を見るのも今宵かぎりとなろう。殺生丸は一見物静かだが言い出したらきかぬ芯のつよい激しい気性だ。望むとおりにしてやらねばなるまい。考えながら、父はおのが腕に生々しく残った噛み傷をながめた。昨夜、殺生丸が興奮のあまり噛み付いて作った傷だ。
(気持ちは一人前だが、牙のほうはまだまだ)
浅い牙の噛み跡を見て父は苦笑した。息子の荒々しさと猛々しさ、その気位の高さと独立不羈の気性を、彼は愛さずにはいられなかったが、同時にそのひたむきな強さに対する傾倒ぶりに、多少の不安も覚えるのだった。
天下覇道の三剣をそなえ、古今無双の大妖怪として無敵を誇る身である。殺生丸がその三剣のうちの二振りの剣、叢雲牙と鉄砕牙を欲しがっていることも父は知っている。どうしても欲しいなら、くれてやらぬでもないとも思う。
殺生丸がかわいくてならなかったが、しかし一方、妖怪としての醒めた心は、本当は天生牙こそがこの若き貴種の妖怪に真に必要な刀ではないかとも感じているのだった。
殺生丸自身は命を救う刀になど目もくれぬ。もとより強力無比の純粋な妖怪の子である。牙を研ぎ、血を吸い、殺人麻の如くあって当たり前、父もそのことをとがめたことはない。だが・・・
もう一人、息子がいれば、と彼は思った。生と死の二つを操る己が牙の精髄を殺生丸と分かち持たせ、自分亡き後、兄と力を合わせ、魔剣叢雲牙を冥界へ送り返すだけの力と器量を備えた息子が。
もしも鉄砕牙を取り上げて他の息子に与えたと知れば、殺生丸はどんなにか憤り、裏切られたと思うだろう。殺生丸が父なる自分に寄せる思いはわかっており、眼前の我が子を手ひどく失望させることを思うと彼の心はくもった。
百の敵をなぎ倒す鉄砕牙を使うことはいっそたやすい。命を司る天生牙を使いこなすことは、憐みを知らぬ妖怪の身なればこそ一層難しく、並の妖怪などには及びもつかぬ厳しい試練を殺生丸に突きつけることになるだろう。
いくら考えても堂々巡りで答えは出せなかった。父の愛もその妖力もその神髄たる刀もその全てをくれてやることはできたが、我が子を一足飛びに子供から大人へと成熟させることは、この大妖怪にもできないのだった。
殺生丸が寝返りを打って、白い顔を仰向ける。額の三日月にそっとくちづけてから、父はなおも思いに沈んでいた。