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淡雪の記憶: 其の三

「・・・・・う」

「気がついたか、殺生丸」

 いつ目が覚めるかとはらはらしていたらしい。父の声は安堵の響きを隠せなかった。

「父――上・・・」

 そちらへ頭を傾けただけで、体中が痛んだので、殺生丸は呻いた。

「どうした、苦しいのか」

「いえ・・・・・」

「無理をするな。やはり顔色がすぐれぬな。この薬を飲んでいま少し眠ったがよい」

「・・・今、何刻・・・・?」

「もう日も高い。そろそろ昼の刻にさしかかる頃であろ」

「・・・・私は、そんなに、眠って・・・」

「眠ってというよりは、気を失うて、といったほうが正しかろうな」

 父は殺生丸によく似た見事な銀白色の髪をかきあげてため息をついた。

「そなたがどうでも続けよとごねるゆえ最後まで続けたが、父はしまいにこなたを拷問にかけているような気がしてきたわ。まこと体は大事ないか。気分は?」

「・・・・ご心配には、及ば・・・つっ」

「動くでない、じっとしておれ」

 この上なく優しいしぐさで、薬酒を口移しに息子の口に流し込んでやると、父は体を起こして自分も磁杯に口をつけてあおった。

「やれやれ」

 殺生丸の体の横に、体を伸ばして横たわりながら父はまたため息をついた。いつもは結い上げている長い銀髪は元結から解かれて、なまめかしく艶めいてその背中にからみつき流れ落ちている。

「初日がいつでも一番つらいが、こなたの場合は殊にこたえたようだの。どうも、これ以上続けるのは、そなたの身が案ぜられるが・・・」

「・・・・対の屋が、少し騒がしいのでは」

 殺生丸が言った。父は笑った。

「話をそらすな、話を。対の屋にはそなたへの見舞いの品が柱の欄間まで積み重ねるほど届いておるわ。それで騒いでいるのだろう」

「見舞い?」

「そなたの姿が見えぬので、どうしたかと皆がうるさくてな。今朝は殺生丸は加減がすぐれぬゆえ、わが結界の内にて臥せっておると伝えたら、ほんの数刻であの有様よ。わしはよう知らなんだが、そなたを崇拝して憧れる者どもの数は両手両足の指の数ではきかぬくらいおるのじゃな。まずもって神鯉仙鶴の肉に薬やら酒やら仙丹神丹に生血生き肝の類い、絹物は蘇芳紅梅、桜に柳、金銀摺り、帯に肌着に夜の衾褥に至るまで、ようもまあ集まったものよ。時節柄ゆえ桜の袂でも仕立てさせてはどうかの」

「お戯れを」

「たわむれなものか、いっそ父も一緒に寝所に引きこもっていると言うておけばよかった。も少し酒が多く届いたかもしれん」

 くつくつと父は笑い、殺生丸も口辺に笑みを刷いた。

「のう、殺生丸」

 風趣を解し、粋で明るくさばけたところのある父だが、息子のこととなるとなかなか笑ってばかりもおれぬ。優しく横たえた傍らの息子の体をなでながら、彼は言い聞かせた。

「口惜しかろうが、もう少し先に延ばす気持ちはないか。このことばかりは父にも手加減は難しい。下手するとこなたを殺してしまう」

「私は別に参ってなどおりませぬ」

「意地を張るな、意地を」

 なおもなだめすかすように父は言う。

「息も絶え絶えだったではないか。なんど途中で解放してやろうと思ったかしれぬ」

「父上」

「そう口をとがらすなというのに、まったく、どこの世界に息子にこんなことを言い聞かせねばならぬ父がおるやら」

 困ったようにひじをついて横になりながら、頑是無い子供をあやすように優しく語りかける父の声を、殺生丸は甘やかな子守唄のように聞いていた。こうして寝所で片肌脱いで寛いだ父の姿はいつにも増して艶麗で水際立った男振りであった。

「これ、のんきに子守唄代わりに聞いておるでない、寝てしまったのか、殺生丸?これ」

「ん・・・」

「何度言えばわかる、父のいうことを真面目に聞け、聞けというのに、これ・・」

 とうとう三度目のため息をついて、父はあきらめたように首をふり、うとうとし始めた息子のくちびるから鼻面をそっとなめた。

(困ったやつよ・・・・可愛い奴よ。まったく父はこなたをどうしたものやら)

(殺生丸・・・・妖力の解放を得て、力を得て、そしてどうする。一体得た力で何を欲する。殺生丸よ、そなたは何のために強くなりたいのだ。強くなってどうしたいと思っているのだ)

 見つめる父大将の眼には、不思議な哀しみに似た色があった。

(そなたを愛している。いつでもそなたを守ってやりたいと思う。だが誰かを守るにはただ強さだけでは足りぬ。それゆえわしはまた別のものも求めてきた。それは、たとえば優しさ――あるいは愛――それとも、慈しみの心・・・・・)

(殺生丸・・・・殺生丸・・・・強さのために強さを求めても、たどりつける場所は限られている。より高みをめざすならば、それ以外のものが絶対に必要なのだ。そなたは果たしてそれほどに強くなれるか。己れの強さが己れの弱さの中にあると認めることができるか。そうした弱さを内に抱えてなお、その弱さ故に強くなれるというところまでたどりつけるだけの器量があるか)

(殺生丸・・・息子よ・・・そなたは、人を愛することができるのだろうか・・・)

 心は麻の如く乱れて定まらぬ。父の思いはなおも我が子殺生丸の上にあった。




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