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言わで思ふぞ:其の五 

 かごめは珊瑚と一緒に食べ物を求めに行っている。犬夜叉は落ちつかなかった。

「どうしてる、殺生丸のやつは」
「うとうとしている。まだ病み上がりだし、すぐには動けんだろう」

 次の日も殺生丸はほとんど一日横になったままうつらうつらしており、何も食べず飲まず、口もきかなかった。気の毒な犬夜叉は一日中そのそばでうろうろしては、兄にうるさがられていた。

「ふん、そうかよ」
「犬夜叉、気持ちはわかるが、殺生丸の口を割らせるのは無理ではないかと思うが」

 のんびり握り飯をつかいながら、弥勒が言った。

「何のことでい」
「お前、殺生丸がほんとに自分をかばったのかどうか聞きたくてたまらんのだろう」
「だ、だれもそんなこといってねえよ」
「お前がもし殺生丸だったとして、もし本当に身代わりになる気だったにしても、聞かれてそう答えると思うか。そっぽ向くくらいがせいぜいだろうが。兄上も同じことだ。きいたところで答えはせん」
「うるせえ」

 犬夜叉は腹を立てて腕組みしたまま、そっけなく言った。たしかに弥勒の言い当てたとおり、犬夜叉は殺生丸が本当のところ、自分をかばってくれたのかどうか、もしそうだとしてどうして――ここが大事なところだったが――どうしてそんなことをしたのか、ということが知りたくてならないのだった。
 しかし殺生丸の口を割るのは素手でハマグリの口を開けるより難しく、犬夜叉の望みはあまりかなえられそうもなかった。

「・・・・殺生丸。いつまでくたばってる気でい。まだ起き上がれないのか、だらしねえ」

 昨日の今日で動けるほど頑丈な兄かどうか、考えてみればわかりそうなものだが、犬夜叉は理屈など無視してぶつぶつ言った。

「ったく、あんな素っ頓狂な罠になんぞ引っかかりやがってよ。間抜けもいいとこだぜ。けっ、いっそおれがかかってりゃ、あんなもん一撃でぶった切ってやったのに。なんだってあんな真似しやがったんだ」
「・・・・・・・・・」

 殺生丸は挑発にのらない。澄んだ切れ長の目が謎めいてこちらを見たが、兄はやはり何も言わなかった。弥勒が犬夜叉を呼び戻した。

「犬夜叉、あまり話しかけるな、兄上が疲れる」
「けっ、関係ねえっ、馬鹿にしやがって口も利きやがらねえくせに」
「そうではなくて、まだ喉が痛んで声が出せないのではないか?」
「・・・・」
「今だから言うが、お前のいない間の兄上の苦しみようというものはひどかった。七転八倒の苦しみとはあのことだ。うかつにさわってしまった七宝が言っていた、まるで焼けた鉄を押し当てられたような痛みだったと。兄上はお前のいない間中、ずっとそれに耐えていたのだ」
「・・・・・」
「喉の傷は特にひどいし、まだ回復には時間がかかるのかもしれん。兄上もそういうところをお前に見られたくはないだろう。気持ちはわかるが、少しそっとしておいたらどうだ」
「・・・・・・」

 理屈はそのとおりと思っても、感情が納得しないということはあるものだ。弥勒の話はもっともだったが、犬夜叉はやはり殺生丸の本音が知りたくてならなかった。兄のほうをちらとみると、耳をちょっと動かして、緋色の狩衣をひるがえして、犬夜叉はそちらに背を向けた。

「あ、これ、犬夜叉、どこへ行く」
「うるせえ、ほっとけ」
「・・・・・・」

 弥勒はため息をついた。

「犬夜叉、ちょっと待て」
「うるせえな、なんだよ」
「そんなに聞きたいか」
「知らねえよ、そんなこと」
「わかった。なら、ちょっと行ってこれを探してこい」
「・・・・・・・へ?なんでい、そりゃあ」
「いいから」

 狐につままれたような顔の犬夜叉に、弥勒は何かささやいた。
 一刻の後、犬夜叉はちゃんと言われたものを持って帰ってきた。

「・・・よう、弥勒、これかよ」

 それは薄様の紙と筆墨、それに山吹の一枝だった。弥勒はそれをながめて、
「よく見つけてきたな。じゃ、それを殺生丸に渡してきな」

「・・・あいつに?」
「そうだ。七宝に渡してもらったらいい。それでわかる」
「・・・・・・いったい何の謎かけでい」
「いいから、渡せばわかる」

 犬夜叉は不審そうに手の中の薄様を見、それから奥にいる兄を見た。何のことだか、と彼は思った。

「・・・・・・・・」

 手渡された山吹の一枝を見て、殺生丸は眉をひそめた。

(犬夜叉め、珍しいことを)

 犬夜叉一人ではこんな気のきいた問答は思いつくまい。法師の入れ知恵だろう。

(山吹の花色衣ぬしやたれ問へど答へずくちなしにして)
(山吹の花の色の衣は持ち主は誰かと聞いても答えぬのはクチナシ色とて、口がないのでしょうか)

 その古歌にかけて、自分が犬夜叉の問いに答えぬのを、口がないのか、と皮肉ったのだろう。

(ふん)

 殺生丸は手にとってその花を眺めた。その目は珍しく物思うように伏せられて、心は何かに迷うように見えた。

           * * *  

 翌朝。

 目覚めてみると、もう兄の姿は消えていた。いつの間に出たのか、敏感な犬夜叉も気づかぬうちの、驚くほど静かな立ち去り方であった。あとには何一つ痕跡さえ残っておらず、そこに兄が横たわっていたと知れるものはただ、風の匂いに残るその香りのみ・・・・

「・・・ちぇ、行っちまった」

 ぼんやりとその眠っていた跡を見下ろして、犬夜叉はつぶやいた。さらばとも何とも言わぬ別れを淋しく物足りなく思うのは自分だけか。
 まだ癒えきらぬ傷を抱えて、どこへ立ち去ったのだろう。連れが気になって探しにいったのか。それとも弱った姿をこれ以上弟に見られるのがいやだったのか。
 考えてみてもしかたなかった。殺生丸の行動は殺生丸だけが決めることで、他の者がどう思おうと思うまいと変えることはできず、また兄はそのわけを他人に説明することもしない性格なのだった。

(・・・まだよくなりきってもいねえのに、無理しやがって)

 元気のない犬夜叉の様子を見て、弥勒が声をかけた。

「行ってしまったのか、兄上は」
「けっ、礼も言わずにな」
「なるほど」
「なんだよ、その意味ありげななるほどってのは」

 弥勒には殺生丸の心の動きがなんとなくわかった。たぶん、これ以上犬夜叉に自分をかばったのかと訴えられたら、自分の心が情に負けて内心を打ち明けてしまうような気がしたのに相違ない。

「気にするな。たぶん、兄上はちょっと照れてるんだろう」
「・・・・だってよ、挨拶くらいして行きゃいいじゃねーか・・・」
「一応、別れの挨拶くらいは残してあるようだぞ」

 かたわらの岩の上に、弥勒は目をとめて言った。

「・・・・・なんでい、こりゃ」

 弥勒は岩の上におかれた物を手に取った。いつの間にどこから持ってきたのか、早咲きのクチナシのつぼみが一輪添えられ、薄様には一言、下行く水、とのみ書かれていた。

「どういうこった。何が言いたいんだ、これ」
「ほお、なるほど」
「てめえ、弥勒、一人で感心すんな、なんだよ、この謎々は」
「それはな、古歌にことよせて、お前が送った山吹の返事をしてよこしたのさ」

 弥勒は笑った。

「古歌ぁ?」
「心には下行く水のわきかへり言はで思ふぞ言ふにまされる、か。言わないで心に想うほうが、口に出していうより想いが深いものよ、と言いたかったんだろう」
「・・・・・・・・・どういうことでい」
「だから、口がないのか、と皮肉られたので、たしかにクチナシのように口に出しては言わないけれど、内心想うところはあるんだから、うるさく言うな、ということでは?」
「いつ皮肉ったんだよ」
「だから山吹を送ったろうが」
「それが何で口がないって皮肉になる」
「だから、犬夜叉、お前の頭にはぜんぜん風流とか雅びとかそういうものは入っとらんのか、困ったな」
「うるせえ、わけわかんないことばっかしやがって、殺生丸も殺生丸だ、なんだっておれには口もきかねえくせに、お前にはこんな返事してよこすんだよ」

 やきもちを焼かれたって困るわけである。弥勒は頭をかいた。手に負えんな、こりゃ。

「けっ、ようするに、どうでも言うつもりはねえって言いたいんだろ。まだるっこしい歌なんぞやり取りしやがって、バカにしてやがる」

 ぶつくさいいながら、犬夜叉は花の一枝もろともその薄様をひったくって懐ろに押しこんだ。

「なんだ、持ってくのか」
「う・る・せ・え」

 犬夜叉は思い切り口をひんまげて、ぷいとそっぽを向いた。

「どうしようとおれの勝手だ、ほっとけ」

 弥勒は笑って外に出ていく犬夜叉の背を見送った。

(言はで思ふぞ言ふにまされる、か)

 二人、口には出さずとも、思いはやはり伝わるのだろう。うらやましいことだと弥勒はふと思った。薄様に書かれた手の跡のいかにも流麗なことさえ懐かしく思われた。と、そこで彼はまた足をとめた。

(あの薄様・・・・あれは)

 犬夜叉が持ち帰ったのは萌黄色の薄様一色だったはず、なのに返歌はさらにに濃紅梅の薄様を重ねて返してあった。萌黄に濃紅梅の色目は菖蒲(あやめ)重ね・・・

(あやめも知らぬ恋をして)

(・・・・兄上)

 もしかして、あの歌は犬夜叉への答えであると同時に、この自分へ投げかけた歌でもあったのではなかったか。自分があのほととぎすの古歌に託した思いに気づいていたかたどうか、それを殺生丸は知りたくて、わざわざこんな薄様の重ねを残したのではなかろうか。

(殺生丸)
(言はで思ふぞ)

 風にさらさらとなびく神秘的な銀色の髪の手触りが思い出された。

(もし、また会うことがあれば、そのときは返事をいたしましょう)

 心のうちで弥勒はつぶやいた。どのように答えるか、心は決まっていた。



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