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言わで思ふぞ:其の六 -エピローグ- 

 

 殺生丸は白いたもとをなびかせて、神域というその大神宮の内域にそよとも音をたてず降り立った。辺りには数人の弓を持った宮司めいた人間たちが倒れていた。雑兵らしいものの死体も二、三転がっている。血の匂いは神木の白木の匂いも新緑の杉の参堂の香りも圧して、神宮中にたちこめていた。

 戦いがあったことは明らかだった。おそらくは近辺の武将の誰かれが神域も恐れず踏み込んで荘園か何か奪いとろうとでもしたのだろう。珍しいことではなかった。人間同士が争い、殺しあうのは殺生丸には見飽いた光景で、神域といい、聖域というも、口先ばかりのことが多かった。ここもそうして襲われたのだろう。

(ふん、愚かな)

 もはや神域の清浄さなどかけらも残っておらぬ。まだあまり気分はすぐれなかったが、別段神経にさわるほどな結界もなかった。殺生丸は破れた本殿の屋根からひらりと中に入り込んだ。

 (つっ)

 降りたとたんに殺生丸は眉をひそめた。天羽々斬剣は意外にも奪われずにその場に残っていた。さしも強欲な人間どももこの霊剣には手を出せなかったらしい。見ていると少しめまいがして、肌がひりひりした。

(・・・かなわぬな。こんなところに長居は無用だが)

 剣の足元に、一人の若い男が座り込んでいた。まだ血も乾ききってはおらぬ。男は白い衣冠に身を包み、まるで台座にもたれて眠っているように見えたが、肩から胸は血に染まり、もはや命はないことは明らかだった。おそらくこれが宮司たちの反対を押して犬夜叉に霊剣を貸したというあの若い祭主に違いない。

(ふん・・・くだらぬ)

 殺生丸はふと目を細めると、物憂げなしぐさで天生牙をすらりと抜きはなった。

(見える・・・あの世の使いども)

 音もなく餓鬼どもを切り払って、刀を鞘に収めたとき、倒れていた祭主の目が開いた。殺生丸はもうそれに背を向けて歩き始めていた。
 
「・・・・・・驚いたな。もしや犬夜叉の兄か」

 突然後ろから声をかけられて、殺生丸は足をとめた。

「無事、縛妖索を切り抜けられたか。弟君が喜んでいるだろう」

「・・・きさまには関係のないことだ」

 振り返らぬまま、殺生丸は静かに言った。祭主は不思議そうに胸元を探りながら言った。

「私を助けたのか? その妖刀で・・・なぜ?」

 殺生丸は答えなかった。ふわりと妖気の渦をひいて空中へと浮かび上がる。祭主はあでやかな白い髪をなびかせた優美な姿が空へ去るのを見送った。不思議なことだと彼は思った。
 
(・・・借りを返しにきたということなのか。ただの妖怪とも思われぬ気品だったが)

 妖怪にもあんな高貴な品位を備えた者がいるものか、あんな天性の威儀のそなわったような若者が。いったいどういう生まれなのだろう。それにしても死者をよみがえらせるとは、やわか並み一通りの技ではない。いずれ名のある大妖怪なのだろう。

(人が妖怪を助け、妖怪が妖刀で人を救う、か)

 図らずも予言は的中したのだ。不思議なこともあるものよ。名を聞きたかった・・・

 
 人の思いにも、弟の思いにも、もはや心はかけぬ。殺生丸の白い姿は華麗な妖気の尾をたなびかせて去っていく。

 五月の風はもうすでに夏の気配を帯びていた。


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