縛妖索 二章 (八)


「なあ――お前、一体どこの貴種だ。そのみめかたちにその妖力だ、この近在のつまらん妖怪の子なんかじゃあるまい。れっきとした名の通った家の子なんだろう。名は何ていう。親父の名はなんというんだ」

「・・・・」

「言う気はねえか。当然だな」

「・・・・・」

殺生丸は何もいわぬ。無表情な美しいその顔を上に向けたまま、うつろなひとみはどこを見ているとも知れなかった。

「縛妖索ってのは、切れないのか。切れないだろうな、お前があんなに暴れてもちぎれもしなかったんだからな――」

「・・・・」

「別に死なせようと思って捕まえたわけじゃなし、はずせるもんならはずしてやりたいが、しかし無理だわな、縛妖索じゃ、俺にもはずし方はわからねえしな・・」

「・・・・・」

「お前が気に入ったよ」

 妖怪は奇妙な口調で言った。

「できるもんならそいつを外して放してやったっていいんだが、そういうわけにもいかねえよな。ほんとなら生かしてお前を俺の側に置いておきたいが、けど縛妖索を切ったが最後、お前は俺らを皆殺しにしてあっという間に去っちまうだろうしなあ。かといってこのまま縛妖索につかまってりゃ死なせるしかねえ。もっともそいつのことがなけりゃお前みたいな上玉をこうして俺の手活けにできるわけはないしな」

 殺生丸は、あいかわらず何も言わぬ。妖怪はそのうなじに巻きついた綱をぐいとこちらへ引っぱった。首ごと引き寄せられた殺生丸の頭がそちらへぐらりと傾いた。うつろなひとみは見開かれたままだった。

「きれいな金色の目をしてやがる。こんな目を手に入れられるなら他の何でも差し出そうっていう女たちが大勢いるだろうに」

 そのひとみをのぞきこみながら妖怪はつぶやいた。

「どこのどういう生まれか知らないが、どこもかしこも人形みてえにきれいにととのってやがる。俺と同じ妖怪とは思えねえ。まったく同じ妖怪でもどうしてこう違うんだろうなあ」

「・・・・・・・・・」

「何をくだらないことを言ってるって顔してるな。お高くとまりやがって、またひいひい言わせてやろうか」

「・・・・・・・」

 乱暴なことを言ったが、妖怪は本当にそうするつもりはないようだった。ただその手を伸ばして殺生丸の髪にふれ、うなじをすべり、みずみずしい若い肌の滑らかな手触りを楽しむように、むき出しの胸から下腹をなでた。殺生丸は人形のようにまさぐられるにまかせていた。

「誰から受け継いだ血筋か知らんが、まるで本物の絹みてえな肌や髪をしてやがる。ずいぶん別嬪も見てきたが、お前みたいなのは初めてだ。本物の高貴の血筋ってやつだな」

 妖怪の声には奇妙に感慨ぶかげなものがあった。

「お前みてえな奴は、誰に何されようが変わらねえんだなあ。どんなにいたぶられようがもてあそばれようが、絶対に汚されたり、おとしめられたりすることはねえ。今だって、さっきまでさんざん俺に慰みものにされてたくせに、そうして綺麗な顔して金色の玻璃みたいな目で俺を見る。まるっきり他の奴とは違うんだな、生まれ育ちってやつが」

「・・・・・」

「お前が気に入ったよ」

 妖怪はまた言った。

「むざむざ死なせてしまいたくはないが――けど、どうしようもねえ。俺は結構お前を可愛がってやったけどな」

「……」

「もう口をきく元気もねえか。なぶり抜かれてへとへとか。縛妖索がきついのか。そうかもな、この体じゃあな」

 殺生丸は疲れたように目を閉じた。己れを痛めつけて散々なぐさみものにした賤しい妖怪の親玉の述懐など、耳を傾けているのも苦痛だった。妖力が衰えているせいか傷の回復は遅く、手荒に打擲された体のあちこちがひどく痛んだ。全身が熱っぽく、息が苦しかった。

「どうしたい、疲れたのか。眠いのか。また酒でも持ってきてやろうか」

「・・・・」

 もう黙っていろと言いたかった。声が出ないわけではなかったが、もう相手の顔を見るのも、口をきくことすらいとわしく億劫だった。指先が冷たくしびれてきているのがつらかった。

(りん)

 ただ一つの慰めは、自分が例によって連れを置き去りにして、まったくの一人のときに襲われたことだった。こんな連中にとらえられたら人間の少女などひとたまりもなく、哀れな邪見ともども命はなかったろう。

 連れの二人はここからかなり離れたところに置いてきている。それだけが残された唯一の安堵だった。

「なあ、眠っちまったのか。だるいのかよ、おい」

 かたわらの妖怪が髪をなでる手触りに、覚えず肌が粟立った。どんなに心を殺してみても、嫌悪感を押し殺すことはできなかった。妖怪はまだ何かしゃべり続けている。外の雑魚たちのだみ声とわめき騒ぐ声がそれに混じる。

 うるさくて苦痛でたまらなかった。

常日頃、物静かであまり自分でも口を開かぬたちの殺生丸には、こうして絶え間なくあれこれと話しかけられるのが、いっそ肌に触れられることそのものよりさえつらく耐えがたく思われた。外の騒々しい騒ぎ声を聞かされ続けるのがほとんど絶えざる拷問のように感じられ、やかましい話し声がそれでなくてさえ疲労しきって感じやすく敏感になっている繊細な神経をむしばんだ。

「どうしたい、加減が悪いのか、おい、どうしたよ」

 殺生丸が苦しげに美しい眉をひそめて寝返りを打ったので、妖怪がまた手を伸ばした。

(向こうへ行け、あの連中を黙らせろ)

 耳をふさいでそう言いたかったが、それもかなわなかった。妖怪たちのわめき声が頭の中に響いて止められなかった。そばで話しかけられるのがたまらなくわずらわしく苦痛だった。

「おい、おひいさんよ、ばかに熱いじゃねえか、熱っぽいのか、ちょっと見せてみな」

(ほうっておけ・・・・これ以上私にさわるな・・・・)

 ぐったりと反応を見せぬ虜囚のひたいに手をふれて、妖怪はもう一度疲れ果てたようなその顔をみおろした。三日月の薄く浮かび上がる白いひたいはひどく熱かった。

(…・もう、あまり長くねえな)

 妖怪は口の中でつぶやいた。その顔はわずかに悲しげにゆがんで見えた。

 

 


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