縛妖索 五章 (二)


 

 

弟はふいにその手に力をこめて握ったと思うと、その手をひっこめ、両手にその兄の銀色の頭をそっとつかんで持ち上げると、自分の膝から自身の毛皮の上にそうっとおろしてやった。

「・・・おまえの膝だったのか」

「ほかの誰のひざだってんだよ」

 照れ隠しなのか、ぶっきらぼうに犬夜叉は返した。

「ずっとそうして?」

「い、言っとくがなー、俺だって好きでのっけてやってたわけじゃねえぞ、ちぇッ、何が悲しくて男が男に膝枕なんぞ」

「・・・・・」

 殺生丸がわずかに口許をほころばせたので、犬夜叉は耳をぴくぴくさせて、ちょっと赤くなった。自分の乱暴な言い回しが恥ずかしくもあったし、兄のこんな笑顔に慣れていないからでもあった。めったに笑ったところなど見せない兄だけに、ふと見せるこんな優しい表情はほとんど正視できないくらい、まばゆく弟の目に映った。

「と、とにかく、だから、気分どうだって聞いてんだよ」

 殺生丸は手を伸ばして顔の上にかざして、日に透かし見るようなしぐさをした。あれほどひどかった手首の傷は今はあとかたもなく消えさって、薄紅色の文様はくっきりと雪白の肌の上に冴えていた。

「ああ・・・楽になった」

「そうか」

 犬夜叉は思わず大きな息を吐き出した。殺生丸はその様子を何か不思議なものでも見るような目で見つめた。身体も心も今は楽になっていたが、あの苦しさを忘れることはできなかった。自分は確かに本当に追いつめられて危険な状態で、文字通り死の一歩手前まで近づいていたので、犬夜叉は本気で自分の身を案じていたのだろう。殺生丸は何かにひかれたように弟のほうに声をかけた。

「犬夜叉」

「おう、なんでい」

「・・・・いや。なんでもない」

「・・・・なんだよ、そりゃ」

妖怪の冷めた心はすべてを記憶していた。犬夜叉が自分に何をしてくれたかはわかっていたが、そうした理由が何であるのかを弟から聞き出したいとは思わなかった。今は何も難しいことを考えたくなかった。兄はおだやかに言った。

「久しぶりに、よく眠ったような気がする。どのくらいここにいたのだろう」

「けっ、何言ってやがる、七日七晩、ぶっとおしで眠り続けてたんだぞ。あー、足が痛え」

しびれた足をもみほぐしながら、犬夜叉は後ろにひっくり返って殺生丸の毛皮の上に寝転がった。殺生丸は何もいわず、横になっている。犬夜叉は転がったまま、ふところのなかをごそごそ探った。

「これ、飲むか。かごめがよこした薬だ。効くぜ」

「いや・・・」

「あいつの国にはいろんな不思議なものがあるんだ。あいつの忍者食知らねえだろ。すっげえうまいんだぜ。変なフニャフニャしたドンブリに入っててよ。お湯かけるだけでうまいソバみたいのができるんだ。あんなうまいもん食ったことねえよ。あ、別にあいつの作ってくるメシがまずいってんじゃねえけどな。けど干しイモとか変わった食い物とか持ってくると珍しいなあとか思ってよ・・・」

「・・・・・・」

「なんか井戸の向こうに家があってよ。国も妙なとこで、着物もつんつるてんの着ててな。しょっちゅう、てすとおとか、すぽおつとかやってんだ。聞いたことあるか」

「いや・・・」

「だよな。けど薬とかそういうもんは多いんだ。俺なんざ、ちょっとかすり傷にもしょっちゅう薬だの手当てだのってやりたがってよ。まったくうっとうしいったらありゃしねえ。まったく女ってのはどうしてああいちいちガキ相手みたいに面倒みたがるんだか」

「・・・・お前の女なのか。その娘は」

 殺生丸が優しく訊いた。犬夜叉は真っ赤になった。

「バ、バカ云え、そんなんじゃねえ、あいつは」

「・・・・」

「四、四魂の玉を見る力があるんで、一緒に旅してるだけでい。あんな奴、うるせえし生意気だし、すぐ泣くし、しょっちゅうおすわり、じゃねえ、人を押さえつけやがるしよ・・・」

「うれしそうに、話していた」

「だ、だから、そんなんじゃねえよっ。おまけにすっげえしつこい焼餅焼きなんだからな」

 自分のことを棚にあげて、犬夜叉は憤然と言った。

「おれと桔梗のこととか、なんだかんだ言ってよ・・・」

「あの、死人の巫女か」

「知ってたのか―――桔梗が死人だってことを」

「・・・・」

「当然だよな。お前の鼻はごまかせるわけないもんな」

「・・・・・・・・」

「桔梗は―――桔梗は、おれのために死んだ。奈落の罠にはまって・・・」

 犬夜叉はしずかに云った。

「奈落の」

「ああ。五十年前におれを封印して死んだ。鬼婆があいつの墓を荒らして骨と土でよみがえらせるまではな。魂はおおかたかごめの元に残ったが、怨念は桔梗の体に戻って、そうしてあいつは生きている――かりそめの、死んだ命を」

「・・・・」

 殺生丸は何も云わなかった。妖怪の兄にとって五十年は人間のほんの一年ほどのそれに過ぎず、犬夜叉が封印されたときに感じたありとある複雑な想いは彼にはつい昨日のことのようにはっきりと心に刻まれてあるに違いなかったが、しかし兄はそのことについては何もふれなかった。犬夜叉は何も気づかずに話を続けた。

「おれは、だから桔梗を見捨てることはできねえ。昔、桔梗が好きだった。よみがえった今もその思いに変わりはねえ。かごめといると、楽しいし心が安らぐ。けどおれは桔梗を捨てられねえ。仲間にはいつもそれで、おれが二股かけて二人の間をフラフラしてるなんて責められるけどな・・・」

「・・・責められる?」

「おれが、どっちか一人に決められねえからだろ。仕方ねえよ」

「なぜ」

「なぜって、お前、女の気持ちとしちゃしょうがないだろ」

「なぜ、一人に決める必要がある」

 殺生丸はいぶかしそうな顔をした。

 



 


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