縛妖索 四章 (1)


よくせき気になっていたに違いない。犬夜叉は翌朝早くにあらわれるとすぐさま奥の兄に声をかけた。

「殺生丸、昨日の話聞いてたろ。親父んとこへ行こうぜ。お前ならくぐれるんだろ、あの門を」

昨日の刀々斎とのやりとりでだいぶん追い詰められた気分は減じたものの、依然として一睡もしていなかったらしい。憔悴した顔色の兄は疲れきって大儀そうに首をかしげて弟を見た。

「何も言わなくていい、口をきくのも辛いのはわかってる。ちっとの辛抱だ。親父のところへ行こうぜ。おれがさわってもバサっとやるんじゃねえぞ、頼むから」

犬夜叉が用心深く手を伸ばして肩を抱くと、腕の中の相手が反射的に体をかたくするのがわかった。だが殺生丸はそれ以上は逆らわず、おとなしく相手の腕に抱き上げられるにまかせた。

 雲母の背にのって飛び去る兄弟を見送って、刀々斎がため息をついた。

「こう、なんてぇか、叢雲牙んときもそうじゃったが、いちいち生きるか死ぬかの瀬戸際まで追い詰められねえと仲良くできない兄弟ってぇのも珍しいよなー。そう思わんか、冥加」

「うーむ、そもそも兄君は誰かの兄に向くような面倒見のいいご気性ではなし、犬夜叉さまはまた可愛い弟というには程遠い性格じゃからのう」

「二人ともちーっとも犬の大将に似ていねえ。まったく、なんであの大将の息子に、こんな扱いにくい兄弟が生まれたんだか、わしにはサッパリじゃ」

「まあ――お館さまも、お若い頃は似たようなもんじゃった。年がいけば丸くなるかもしらんて」

「年がいけばって、大将なみにあいつらが年取るのを待てってえのか、冗談じゃーねえよ」

「お二方のご気性を足して二で割ったら、ちょうどいいんじゃが」

「ま、足すのも割るのも無理ってもんだわな――」

 刀々斎は頭をかいた。

「・・・殺生丸のやつ、大丈夫かのう」

「犬夜叉さまがついておる。今はお任せするほかはない」

「無事帰ってこれるといいが・・・」

「そうじゃのう・・・」

 

              * * * * *

 雲母はしなやかな体を伸ばし、木立の間を縫って飛び駆けていく。腕の中に横抱きに抱きかかえられたまま、殺生丸は目を閉じていた。揺れる背の上で振り落とすまいとして時折自分を強く抱き寄せる犬夜叉の腕の硬さが感じられた。

 馬鹿げている、と思ったが、どうしても全身がこわばるのを止めることはできなかった。

 夢の中で自分を押さえつけるザラザラした肌、触ってくる妖怪どもの硬い腕、払っても払いきれぬ男の匂い・・・

 殺生丸はくちびるを血の出るほど噛んで、こみあげる吐き気を押さえようとした。

「大丈夫か」

 犬夜叉が心配そうに声をかけてくる。殺生丸は首をふった。

(大丈夫なもんか・・・震えてやがる)

「・・・雲母、急げ」

かけられた声に応えて、巨大な化け猫は足を速めた。

もう程もなく火の国の国境にさしかかろうというときだった。
唐突に腕の中の兄が身もだえして逃れようと体をひねったので、犬夜叉は驚いて雲母をひき止めた。

「どうした、落ち着けってば、どうしやがった、って、おいっ」

殺生丸は堪え切れず犬夜叉の体を押しのけ、雲母の背から半ば転がり落ちるようにして逃れ出た。

「あと少しじゃねえか、何してる、どうしたんだ、おい、殺生丸ッ」

さすがに少し腹を立て、犬夜叉は兄の肩に手をかけて引きずり戻そうとした。と、そこでやっと相手の蒼白な顔色に気がついた。

(・・・・殺生丸)

思わずゆるめた手を振り払って、殺生丸は後ろへ下がり、木の根にもたれて肩で息を吐いた。

(殺生丸)

妖しの索にからめとられた右腕、むき出しの白い胸、その上にのしかかり、組み敷こうとする妖怪どもの姿。地面に広がった銀白色の髪と血のついた毛皮、その上で目を閉じて揺れていた青ざめた顔とその唇に食い込む痛々しい猿ぐつわ、そのすき間からもれるこらえかねたかすかな呻き・・・

(くそっ)

犬夜叉は怒りのあまり、こぶしを地面にたたきつけた。打ち付けられた地面から小石が飛び散った。

「・・・・殺生丸。おれは、あの妖怪どもじゃないぜ」

「・・・わかっている」

低い落ち着いた声が応えた。その声を聞いて、ひとまず犬夜叉の気持ちは静まった。

「少し、その辺をまわってくる。雲母、そばについててやってくれ」

猫が小さく鳴いた。いたたまれなくなったように、火鼠の衣は一跳びして繁みの向こうに姿を消した。

(犬夜叉)

体の震えが止まらなかった。殺生丸は歯を食いしばって震えを止めようと試みた。牙で切れた口の端から血が流れ落ち、つかんだ爪からにじむ毒で木の根が溶けてジュッという音をたてた。

 雲母が心配そうにそっと近づいてその手をなめた。ザラザラした生温かい舌の感触が否応なくぞっとする感覚を呼び戻し、殺生丸がビクとして飛びのいたので雲母も驚いてうなり声をあげた。

 

 


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