縛妖索 三章 (一)


 岸辺に二振りの刀と鎧を残して、犬夜叉はまとっているちぎれかけた下の着物ごと殺生丸を清流に連れ込んで体を洗いきよめた。真っ白な髪が絹糸のように水面に広がり、嫋々とその肌にはりついている。その姿はさながら波打ち際に打ち上げられた人魚のように蒼白く美しく、同時にひどく無防備に見えた。

 妖怪たちは殺生丸を押さえつけるのに恐ろしく手こずったらしい。着物の下からのぞく白い引き締まった肢体のみぞおちにも脇腹にも太股にも背中にも、いやというほど殴打されたらしい酷い青や紫の痣がくっきりと残っていた。

(ひでえことしやがる)

 ぐったりと腕にもたれかかる雪のように白い裸身を抱え寄せながら、犬夜叉は呻いた。

(体中、傷だらけじゃねえか)

 それにしても解せぬことであった。この強力な純血種の兄、並みの妖怪どもなど足元へも及ばぬような傑出した妖力を持ち、戦いの経験にも長け、半妖の自分よりははるかに俊敏で、容易なことでは捕らえられぬはずの兄が、なぜあんな連中の手に落ちるような目になったのか・・・

(どう見たって殺生丸の手に余るような連中じゃねえ、数こそ多いが、妖力もたいしたこたなかったし、ただのありふれた雑魚妖怪の群れに過ぎなかったのに)

 いったい何があったというのだろう。兄の身に何が起こったというのだろう。

「う・・・」

腕の中でかすかなうめき声が聞こえた。

「殺生丸、殺生丸ッ、気がついたか」

苦しげに眉を寄せたまま、殺生丸の蒼白なくちびるがわずかに動いた。犬夜叉は急いでその顔をのぞきこんだ。

「・・・犬、夜・・・叉・・・?」

「ああ、おれだ、しっかりしろ、もう大丈夫だ」

 返事の代わりに兄の喉から苦しそうなかすれた息がもれた。犬夜叉はその顔にいっそう自分の顔を近づけた。

「もう心配いらねえ、あの谷の妖怪どもは一匹残らず鉄砕牙のサビにしちまったから安心しな。なんだってお前ともあろうものが、あんなザコどもの罠にひっかかったんだ。なんだ、この首の綱は」

「う・・・・・・・」

 それにさわるなと言おうとしたのかもしれないが、喉は焼けつくようで声は出なかった。

迂闊であった。何も知らぬ犬夜叉が引きちぎろうと荒っぽく爪をたてたとたん、殺生丸が声にならぬうめき声をあげ、右手で巻きついた喉のそれをひきむしろうと弱々しく身をよじった。

「よせ、どうした、苦しいのか、くそ、奴らにつけられたのか」

 犬夜叉の叫ぶような声も耳に入らず、殺生丸は激痛に身を揉んで、なんとか食い込む綱をむしりとろうと無意識に己が喉に爪をたてた。白いのどについた爪痕からたちまち血がにじみ出た。

「よせ、手をはなせったら、おれがすぐはずしてやる、じっとしてろ」

綱は奇妙な金色に光り、その両端は殺生丸の手首とうなじに巻きついて結び目を作っていた。犬夜叉はもう一度結び目をほどこうと綱に手をかけたが、今度はふれたとたん強烈な痛みを感じて飛び上がった。

(な、なんだ、こりゃ)

不気味な綱であった。それはまるで血を吸ったような妖しい赤みがかった金色の蛇のような姿で、兄の象牙のように白いなめらかなのどもとにうねるようにからみつき、なんとしても離れる様子もなかった。

(ちくしょうめ、こいつが殺生丸の妖力を吸い取ってるのか)

犬夜叉は鉄砕牙を引き抜き、手首とうなじの間にピンと張られた綱を両断しようと振り上げた。が、驚くことに刀は綱に触れるやいなや、いきなり妖力を失ってただの刀に戻った。

(なっ、鉄砕牙の妖力がきかねえ?!)

どういうことかわからなかった。殺生丸の顔色はいよいよ悪い。ちくしょう、と犬夜叉は思った。

(一体どういうことなんだ。どうすりゃいいんだ、どうすりゃ)

(刀々斎)

刀鍛冶である刀々斎のところへ行けば、この忌まわしい綱を切る方法が見つかるかもしれない。犬夜叉は散らばっていた荷や刀を荒っぽくかき集めると、殺生丸の体に着物を巻きつけて抱えあげた。

                    * * * * * * *

 

「うわああああああああああーーーん!!!」

 いきなりずかずかと踏み込んできた犬夜叉が、抱きかかえた相手をみて、刀々斎は気絶しそうな顔をした。

「なんという相手を持ち込むんじゃ、わしゃ殺されるうーー・・・って、あれ」

「おうっ、刀々斎、いやがったか」

 例によって口調は乱暴だったが、犬夜叉の声にはわずかな安堵のひびきがあった。

「どうしたんじゃ、犬夜叉・・・殺生丸は」

 こわれものを運ぶように、そっとその場に横たえた相手をみて、刀々斎は目をみはった。

「なんじゃ、どうした・・・・気を失ってるのか?」

「それが・・・」

 殺生丸の手首とのどもとをつなぐ奇妙な綱・・・・

「切る方法はねえか、刀々斎。おれの鉄砕牙じゃダメだった。妖力が消えちまうんだ」

「うーむ」

 刀々斎も唸った。殺生丸は声もたてぬ。伸ばした手がわずかに動き、巻きついた綱が一層残酷に手首をしめつけるのが見える。喉に食い込む綱を引きむしろうと試みた爪のあとが、白いのどに赤い筋となって残っていた。

「犬夜叉さま」

 と、そこへいきなりピョンと飛び出したものがある。

「冥加じじい、てめえ、ここへ雲隠れしてやがったのか」

「犬夜叉さま、これはいったいどうしたことじゃ。殺生丸さまは」

「どうもこうもねえ、この妙ちきりんな綱、切る方法教えろ、今すぐ」

 犬夜叉が指さした殺生丸の首筋の綱を見るなり、冥加は仰天してのけぞった。

「なんということじゃ。これは、縛妖索ではないか!」

「縛妖索じゃとお?!」

 刀々斎もおどろいた声をあげた。

 

 


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