縛妖索 二章 (十一)


「おい・・・おい」

妖怪は殺生丸の頭を揺り起こしたが、相手は血の気のない顔をなかば傾けたのみで、目も開かなかった。絹の帯がその口元にくいこんでいる。妖怪は猿ぐつわをほどくと、もう一度肩をつかんでゆさぶった。

「おい・・・しっかりしろ、なあ、おい・・・」

二、三度苦しげにせきこんで、息を吐くと相手はようやっと薄目を開けてこちらを見た。

「水、飲まねえか、なあ」

「・・・・・・」

殺生丸は、薄汚い欠け椀に埃の浮いた水を差しつけている相手を見た。声が出なかった。

「飲めよう。なあ」

妖怪は、黙ったままの殺生丸の顔を見ていた。こんな目にあっていてさえ、その金色の瞳は澄んでいて、くちびるは傷ついて血を流し、体もまた傷ついていたが、その全身からは何か冒しがたい気品と高貴な雰囲気がたちのぼり、弱った様子もそのなまめかしさを増しこそすれ、その美しさと尊厳をいささかも損なうものではなかった。

 その表情にはいささかも乱れた感じはなく、おさえられていてさえ、ほのかにうかがえる気位の高さに下っ端の雑魚にすぎぬ自分とのあまりの差を感じて、妖怪はたじろいだ。ばかなことをしたかなあ、と彼はぼんやり思った。

「なあ・・・」

もう一度、口元に妖怪は椀を近づけた。相手はしばらく自分の顔を見ていたが、やがてそっと顔をそむけて目を閉じてしまった。

「・・・・・・・」

「飲まねえよ、決まってるじゃねえか。バカだなあ、お前もよ」

さっきから様子を見ていた兄貴分の妖怪が後ろから声をかけた。

「情のこわい野郎だ。雑魚の情けなど受けねえよ。たとえ死んだってな」

「・・・・・・・」

「おい、猿ぐつわ元通り戻しとけ、お頭に見つかると怖えぞ」

横たわった殺生丸がまたかすかに咳き込むのが見えた。

「・・・ちっとだけ息をつかせてやってからにするよ。もうちっとだけ」

「いい加減にしとけよ。どうせ死ぬ相手だぜ」

「分かってらあ・・・けど、もう少しだけ」

他の仲間たちがこちらにやってくるのが見える。来れば見つかって自分もぶん殴られるとわかっていたが、せめてそれまでの間くらい休ませてやろうと彼は思った。虜囚ののどから、またかすかな咳がきこえた。

 

          *  *  *  *  *

 

 もう、捕らえられてからどれくらい時がたったのか、わからなかった。縛妖索の効き目はいよいよ強く、もはや妖力はほとんど使えぬといってよかった。のしかかる新手の妖怪がむきだしの胸に顔を寄せ、ぬめる舌で乳首をなめとったので、虜の体に震えが走った。

「声が聞けねえてのは残念だなあ」

いやらしい声が耳元にささやく。足がまた残酷に押し開かれる冷たい感触が感じられる。

「う・・」

もう一人の妖怪が下半身にのしかかり、組み敷かれた白い下肢がわずかに持ち上がる。荒々しい動きに虜囚の無残にふさがれた唇からこらえかねた声が洩れ、なまめかしいあえぎに圧し掛かっている妖怪の動きがいっそう早くなった。

 自分はもうじき気がふれるのではないか、と殺生丸はぼんやり思った。もうあと少し続いたら、自分は・・・

 突然、一陣の真紅の姿が疾風のように飛び込んできてその淫靡な饗宴の空気を引き裂いた!

「散魂鉄爪!」

 何かがザクと切り裂かれる音と共に、たった今自分を気を失いそうなほど責め立てていた体の上の妖怪が瞬時にバラバラの肉塊となってちぎれ飛び、噴き出す血とともに生温かい肉片が体にへばりつくいやな感触がした。

(・・・犬・・夜叉)

「殺生丸!」

いきなり背中から抱えあげられて、犬夜叉の驚愕した声が聞こえた。

「殺生丸、やっぱりお前か、いったいどうしやがった、こんな・・」

いいかけて、無残にふさがれた口元に気づく。殺生丸の白い髪を垂らした頭が力なく後ろへのけぞった。

「てめえら・・・!」

 腕にその体を抱き上げたまま、犬夜叉は牙を噛み鳴らして後ろを振り向いた。

「よくもやりやがったな、この外道ども!残らず風の傷の餌食にしてやるから、覚悟しやがれ!」

 わめきながら押し寄せる妖怪どもを前に、殺生丸の体を後ろに回して、犬夜叉は敵と対峙するなり鉄砕牙を抜きはなった。

 

 


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