犬夜叉の話では必ず出てくる桔梗とかごめの二股談義(笑)七宝にまで二人の間をウロウロしとる、などといわれて身もふたもない(笑)犬夜叉も好んで二股に見えるこの関係を続けているわけではないことはわかるのですが、受け止める女の心理としては、びみょー(笑)というやつでしょう。しかし、読んでる限りではやはり生きてそばにいて心が安らぐかごめのほうに、犬夜叉の心は向いているような気が私はいたします。
それにしても犬夜叉はいつまでも桔梗に心を残すのでしょうね。犬夜叉はなぜかごめを恋しつつも、桔梗に優しくすることを止められないのかなあ。皆から責められ、かごめを傷つけていることを知りつつも、桔梗を捨てきれない理由を、犬夜叉の気持ちになってあれこれ考えてみたりいたしました。
物語はいきなり犬夜叉がかごめと出会うところから始まっています。最初の頃の、ちょっと狷介で皮肉っぽい様子はかごめの優しさに会ってたちまち氷解していきますが、しかし、と私はよく想像いたします。物語に書かれていない孤独のとき、母に死に別れ、桔梗と知り合うまでの長い長い孤独のときを、犬夜叉はいったい何を考え、何を思い、どのような心を抱いて過ごしてきたのだろう、と。
言うまでもなく、犬夜叉は半妖です。人間からも妖怪からもさげすまれ、排斥されて育ってきた。幼いころ蹴鞠の場で大人たちに向けられた侮蔑的な態度に驚く場面が映画3にありましたが、それでもあんなものは序の口だったでしょう。もちろん本物の妖怪からも手厳しい嘲弄と軽視の視線が投げられる。あのとるに足らないチビの七宝からさえ、話をするより先に“お前、半妖じゃろ”といってないがしろにするような態度をとられています。子供ながら父の仇を討とうという勇気も行動力もあり、かごめを見捨てたことを恥じて犬夜叉のもとに戻る心の真っ直ぐな子である七宝でさえそうでした。妖怪界の通念といっていいでしょう。
いわんや他の妖怪どもにおいてをや、立ち会えばまず力より先にこの冷たい視線が投げかけられる。名前すら面と向かって呼ばれず、半妖としか呼ばれない。この痛切な侮辱は思うだに心の痛むものがあります。
人間界にいたときは、母十六夜がただ一人の味方であり、母亡きあと妖怪の世界で暮らすようになってからは、おそらく冥加じいくらいを唯一の味方にして、犬夜叉は育ってきたのではないでしょうか。
半妖の人生は長い。以前の雑記で計算したところでは、半妖の一年は人間の10年に当たると書きましたが、それで仮に大体人間の年で五歳くらいで母に永別したとすると、妖怪年齢ならまだたった半年の幼さです。それから桔梗に会うまで14年半、人間の140年近くを独りぼっちで生き抜いてきた。誰からも受け入れられず、馬鹿にされ、排斥され、ゆく先々でつまはじきされ、のけ者にされ・・・・そのつらさ、苦しさ、悲しみ、いきどおり、怒り、誰とも口をきいてもらえない淋しい夜、眠ったまま夜明けにめざめなければいいのにと幼い犬夜叉が思ったことがあったとしても、誰も責められるものはいないと私は思ったりするんですね。
犬夜叉は漫画ですからさらりと描かれていますが、地念児や紫織ちゃんのときのような村人の残酷きわまる態度を平然と受け止められるような神経の人間はいやしません。いじめられるつらさ、疎外される苦痛、帰属すべき居場所を持たぬ悲惨と苦悩は味わったものでなければわからない。自分の居場所は自分でぶん取るしかないと思った、なんて犬夜叉は言ってますが、私はこの言葉を読むたび、その裏にある犬夜叉の経験した気持ちを考えて悲しく、同時に心から感嘆せずにはいられません。よく果敢に持ちこたえて、道を切り開こう、自分の居場所を奪い取ろう、という勇気を持つことができたなあ。よく絶望せず、耐えて戦い抜くだけの強さを持ち続けることができたなあ、と。
殺生丸が強いのはそれはそれでわかります。しかし犬夜叉が立ち向かってきた相手は目に見える敵というわけじゃない。殺生丸が決して出会うことのなかったであろう、無言の敵意、向けられる刺すような視線、蔑みおとしめようとかかってくる態度、理由のない嫌悪、誰かをいじめることで感じる悪意の歓び、最強の刀も毒ある爪も歯がたたぬ、決して殺すことのできない敵です。殺生丸の戦いはいっときですが、犬夜叉の戦いは決してやむことがない。
もちろん自分で自分自身に向ける負の感情、弱くて敵から逃げねばならぬ無念、弱い自分自身に対する憤り、それも殺生丸が感じるのとはケタ違いに強い、ほとんど歯ぎしりするような強烈な無念さがあったことでしょう。強くなりたい、という思いは自分の生きていく場所を勝ち取れなければ死ぬしかない半妖の犬夜叉にとって、殺生丸の何層倍も厳しく、切実で、せっぱつまったものがあったろうと思います。
しかし居場所を勝ち取るというのは、相手に受け入れられるということですから、ただ強さだけでは周囲の疎外までは打ち破る力がない。自分が強いことを思い知らせて相手を屈服させるという生き延びるための当然の行為も、犬夜叉には本当の満足感をもたらさない。どうせ仲良くなんかできねえんだ、という犬夜叉の言葉の影に、本当は仲良くしたいと望みながら、決してかなえられなかった切ない想いが透けて見えます。
唯一の肉親である異母兄殺生丸ですら、半妖を仲間と認めるような態度は示さない。兄ファンには残念なことですが、犬夜叉自身がそう言及していますから事実でしょう。妖怪は半妖を絶対仲間とは認めない、たとえ身内だってな、と犬夜叉は言っていますが、このつらい事実を身をもって知っているから断言できるわけで、その裏には、犬夜叉も必ずや兄に何度か接触し、何とか身内らしい感情に訴えて仲間意識を引き出そうと試みた経験があったに違いないと思うのです。
つらい試みだったでしょう。悲しくもありやるせなくもあったでしょう。犬夜叉はとても愛情深い性質ですし、当然ながら他人との正常なかかわりに飢えていたであろうことは想像に難くありません。しかし、兄は拒んだ。内心はどうであったにせよ、表向きには自分が兄であることを認めるくらいがせいぜいの譲歩で、殺生丸はかたくなに半妖を自分の仲間と認めるのを拒みつづけた。
犬夜叉はどんなにか失望し、胸の切られるような想いをしたか。そんなこともあろうかと予想してはいても、肉親ならと抱いた淡い幻想は裏切られ―――兄には兄の複雑な想いがあったのかもわかりません。身内だからこそ許せない、ということもあるでしょう。でもそんなことはその頃の犬夜叉の考え及ぶところではないし、たとえ知ったところで孤独を癒やす何の慰めにもなりはしない。人間たちの拒絶、妖怪どもの拒絶、そして兄の拒絶―――
犬夜叉は昔のことを全然愚痴りませんが、それが弱音を吐くのが嫌いな意地の強さからきているのか、それとも思い出すのがつらいのか、あるいは、今さら昔のことなんざ愚痴ったところでどうなるわけじゃなし、と思って一人心に秘めて表には出さないのか、私にはわかりません。わかりませんが、しかし犬夜叉というキャラの魅力として、この隠されたつらい経験や、それを自分ひとりの心で克服して決して仲間にぶつけない勇敢な対処の仕方に、私はとても魅かれるのです。大人の男の種子といいますか、そういう雰囲気を感じ取れるところです。
そうやって考えてくると、犬夜叉が二股のどうのといわれながら、桔梗を見捨てられない気持ち、わかるような気がします。
ひたすら続くひとりぼっちの日々、永劫に続くかと思われた疎外され孤立無援の過酷な暮らしの中で、初めて出会った自分に心を寄せてくれる相手、巫女として男に許すことを禁じられた身でありながら、その禁忌をも破り、霊力の衰えも省みず、自分をさげすまず、自分と話をし、自分を愛してくれた初めての相手。
犬夜叉にとって、桔梗が何者にも代え難いほど重い存在になったとしてもまったく不思議ではないと私は思ったりするんですね。たとえかごめという相手があらわれたとしても、あの長いつらい日々にただ一人、勇敢にも自分と関わりを持ってくれた最初の相手を忘れ去ることは、到底できないだろうと思うのです。
まして桔梗は巫女であり、犬夜叉は半妖でありますから、二人の結びつきを祝福するものは誰もなかったでしょう。それがためによりいっそう強烈な帰属意識、この世に自分たちの属する世界はただお互いだけ、という想いは強くなったろうと思います。
桔梗との出会いはただの恋の域を超え、仲間を持たぬ孤独地獄から自分を救い出してくれた最初の相手への想いとなって、強烈に心に刻印されているのではないでしょうか。
犬夜叉が一度は四魂の玉を得て人間になろう、とまで考えたというのは驚きです。妖怪の群れの中に住む半妖の犬夜叉にとって、強くなることは何にも増して重要なこと、ほとんど生きる意味にひとしいとすらいえたでしょう。にもかかわらず、苦労して身につけてきたその大切な強さを投げ捨ててまで、共に人間として生きようと考えたのですから、それだけ犬夜叉が桔梗に寄せた想いは非常に強く、真率で本物だったということでしょう。
人はしばしばこういうとき迷い、悩み、しまいに自分が本当に求めているのは何なのかわからなくなって自滅したりしますけれども、犬夜叉は前述のような立場に置かれていたにもかかわらず、桔梗との恋のほうが自分の求めているものだと正しく見きわめるあたり、やはりあっぱれというべきではないかなーと思ったりいたします。
奈落の策謀で彼らの仲は裂かれ、もはや昔には戻れませんが、犬夜叉が生きてきた過去を思い、桔梗がその犬夜叉に与えてくれた安息の重さを思うとき、この一見二股に見える関係を犬夜叉が続けざるを得ない気持ちが、ちょっとだけ想像できるような気がしてしまう私なのでした。