殺生丸さまの腰巾着の邪見は、なかなかおいしい役どころ。あの気難しい兄上からまっとうな感情を引き出すめずらしい才能を持ってますね。アニメでは、結構いっぱしの妖怪の長だったのが、殺生丸さまに会って一目ぼれ、一族を捨ててついていく、というなかなか男気のある妖怪です。
この邪見、物語の中で非常にユニークな個性を持っています。それは“変わらない”ということ。始まったときから今に至るまで、考え方も言うことも全然変わらないのは、この邪見くらいなんじゃないでしょうか。
ほかの登場人物は、それぞれ性格変わってきたり立場が変わったり、影響力を持ったり失ったり、といろいろです。兄上はとりわけ激変したくちですが(笑)邪見は終始変わりません。そのせいで殺生丸の変わりようが一層強調されるような感じです。
何をどう変わらないか、といえば、もちろん「殺生丸さまが世界で一番!」という一途な思いですが(笑)、私が感じるのはその態度です。
他人の前では、どういうときでも邪見は殺生丸に反対はしません。常に殺生丸が正しい、と決めている。もちろん殺生丸が誰の前でも自分の考えを押し通せるのは、それだけの実力に裏打ちされているからで、ケチな小妖怪の邪見ごときが同じことを叫ぼうものなら、たちまちボコボコ(笑)かごめにも弥勒にも、もちろん犬夜叉にもまんべんなくやられています。叢雲牙との戦いのときも、みんなが殺生丸に犬夜叉と協力して、と叫んでいるのに一人だけ、犬夜叉なんぞとつるむ必要はありませんぞ!なんて叫んでひどい目にあう(爆)地獄のフタが開いても、殺生丸の気持ちを優先するほうが大事と見えます。あっぱれ。
しかし邪見は決してでたらめに殺生丸を支持しているんじゃないと思いますね。その証拠に白霊山ではりんちゃんを追って聖域に入ろうとする殺生丸を必死に止めたりする。兄上の行為そのものに対しては、あれこれ疑問も抱くし、ぶつくさ不平も言うし、無口になったな、とかコケにされて怒ってる、とか危ないからやめて、とか“生き返らせてくれて感動!”とか、“なんでこんな人間の小娘なんぞ連れ歩くかなー”とか、いろいろ思うわけです。
でも他の妖怪たちの前では絶対に兄上を支持する。根拠も何もない、殺生丸への信頼だけが支持する理由なので、子狐の七宝から突っ込まれても答えられない(笑)
殺生丸は、この、どんなときでも絶対に自分を支持してくれる存在の真の貴重さというものを果たして気づいているのでしょうかねー。
邪見の行動のキーワードは無私であるということではないかと思います。邪見自身の身の安全を第一に考えるなら、犬夜叉たちの前では黙っていればいいのだし、殺生丸の行動についても意思についても、何でもおとなしく迎合してハイハイと言っていればそれでいいわけです。
でも邪見はときには殺生丸の怒りにふれる危険を冒して聖域に入るのを止めようとするし、犬夜叉や他の連中にボコボコにされてでも、殺生丸のいろんな考えや行動、“半妖なんか大ッ嫌いだ!”とかそういう考えを、自分もそう思うからというよりは、殺生丸がそういうふうに望んでいるからというだけの理由で、あくまで忠実に支持する。
邪見の念頭にあるのはいつも殺生丸のことだけです。殺生丸の身を案じ、殺生丸の考えを支持し、殺生丸の望むとおりになることをいつも望んでいます。
だから殺生丸本人に対しては正直で率直です。決しておもねったりへつらったりすることはない。刀々斎が逃げてしまったとき、“この殺生丸に刀を作る気はないということか”なんていわれて、“嫌われてるんでしょうな、やっぱり”となんてズバリと答えて、兄に蹴っ飛ばされています。奈落にコケにされて煮えくり返ってるのだ、なんて指摘されたときも同じ。
言われたくない真実を言うから蹴っ飛ばされるので、逆に言えば兄上は邪見の指摘の正しさを蹴とばすことで暗に認めているわけですな(笑) 子供っぽいのう、兄上。
殺生丸と邪見の関係は主従関係ですから、兄上は好きなだけ邪見に対して邪険に(笑)できるのですが、その主従関係は邪見が受け入れてくれるから成り立ってるわけで、その意味では兄上は、邪見の忠実と寛容に甘えて好き勝手をしてるのだともいえましょう。
もちろん兄上は邪見が去るなら、それはそれで勝手にしろという性格なので、だから邪見の顔色を全然うかがわないわけですが、それでも邪見が逃げないという漠然とした感じは持ってるんでしょうね。
邪見はたぶんこういう子供っぽさや驕慢さもひっくるめて兄上が好きなんだろうし、そのことを兄上は本能的に知ってるのでしょう。でなきゃこういう遠慮のない関係って築けないし、いちいち“今怒ってボコったら、逃げて二度と帰ってこないかも”なーんて心配していたら主従関係はなりたたない(爆)
でも邪見はべつだん殺生丸に従う代わりに守ってもらう、なんていう関係には全然ないんですね。天生牙で生き返らせてもらったときは意外さのあまり涙ぐみますし、あの世とこの世の境では、殺生丸が自分の浴びる瘴気も省みずバンバン剣をふるうのをみて、やっぱり涙ぐんでいます(笑)人間のりんちゃんより格下で、りんちゃんを守り損ねたら殺される〜という心配までしなくてはならない。
でも、邪見は、その忠誠と引き換えに兄上の心の中に自分の占めるウェイトが低いからといって抗議したり責めたりはしない。何も見返りを要求しないように見えるんです。だから無私と言ったんですが、これがたった一度だけ破られるシーンがあります。映画3で叢雲牙との死闘の最後に、犬夜叉の爆流破に合わせて天生牙を使うシーンです。
本来殺生丸がここへ来たのは叢雲牙と戦ってこれをねじ伏せ、おのが手に入れるためだったのですが、戦っているうちに、その目的は冥界を呼び戻そうという叢雲牙を倒すことに変わってしまいます。自分は守るものがあるから叢雲牙を倒すまで絶対あきらめない、と叫ぶ弟の声に、思い出される父の問いかけ「お前に守るものはあるか」、そしてみずからの心に浮かぶ答え、それがりんちゃんと邪見の姿であったのはご存知のとおりです。
邪見はおまけよ、というのが定説ですが(爆)、私は邪見自身のことも守る相手に含まれていたことに、このとき卒然と殺生丸は気づいたのではないかな、なーんて考えてみたりして。
もちろんりんちゃんへの感情とはまったく違うものでしょう。でも、愛するものを守るだけが守る感情ってものでもないと私は思ったりもするのです。
殺生丸から見ればちっぽけな小妖怪、ひょこひょこ自分について歩き、何の能があるというわけでもなく、ただひたすら自分を崇拝し、むっとした自分が感情のままに蹴っ飛ばしたり踏んづけたりしても、やっぱり“殺生丸さま”とかいってついてくる。危険きわまる奈落の城や、白霊山や、あの世とこの世の境まで、守ってもらえる当てもないくせに邪見はやっぱりついてくるのです。
殺生丸さまなら必ず勝つ、何があろうと殺生丸さまが最高、殺生丸さまが一番じゃ!という不思議な、しかし純粋な信頼を邪見は主に寄せています。
邪見は取るに足りぬ小妖怪です。りんの面倒を押し付けるだけで、何ができるわけでもなく腕も立たず、せいぜい雑用役どまりの、殺生丸にとっては本当に取るに足らぬ存在なのです。邪見が持っているのは殺生丸に対するこの一途な信頼と忠誠だけです。
普段の殺生丸には、それは当たり前でわざわざ意識するにも当たらぬものです。それが、今、ここで叢雲牙とのギリギリの戦いの中で、突然兄上の心の中で思い出され、クローズアップされてくる。
守りたい、とは思わなかったでしょう。守るべきものだとも思わなかったでしょう。たぶん死なせたくないとすら思わなかったと思う。ただとっさに心によみがえったその姿、いつもいつもいつも、どんなときでもどんな窮地でも変わることなく自分に向けられてきた絶対的な信頼、殺生丸がただの一度だって考えてみたことはなかったに違いない、自分に寄せられるこの信頼の意外な重みが脳裏をよぎったとき、この小さな従僕にすぎぬ小妖怪が、自分の中に呼び起こした想いに殺生丸は驚いたのではないかと思います。
愛するものを守る、弱いものを守る。それも確かに守るものではありましょう。でも自分に寄せられる深い揺るがない信頼、その信頼もまた守るに値するものなんじゃないかなあ。
兄上は若くて野心的で、そういうものの真のこわさを知りません。そういう崇拝を簡単に受け入れ、自分をその忠実に値する存在だと簡単に思い、相手にもそう信じさせてきた。邪見は決して見返りを求めません。邪見の奉仕は殺生丸にとって、ただ同然に思われたでしょう。でもそうではなかった。それは本当は目に見えないきわめて重大な見返りを引き換えに要求するものでした。
それは、あくまでも相手の信頼にこたえるということ、常にその崇拝にふさわしい存在でありつづけるということ。
その信頼にこたえられないことは最大の裏切りです。取るに足らないと思っていた邪見の寄せてくれた無私の崇拝と信頼が、実はそれくらい貴重で重大で重いものだったことに、この瞬間に突然殺生丸は気づかされたのではないか。強さを重んじ誇りたかく妥協をきらう殺生丸に、一人で叢雲牙を倒すことを断念させ、半妖と嫌ってきた弟犬夜叉に協力してついに自ら蒼龍破を放つというきわめて困難な決断をあえてなさしめたのは、りんちゃんが失うべからざる大事な存在であると感じたのと同時に、自分を信じてついてきた邪見の信頼という、二つの守るものへの自覚だったのでは、なーんて勝手に思ったりするのでした。
それにしてもあのシーンはとても印象的でした。照れ屋で素直でない兄上の思いがけない内心がのぞいて、殺りん決定!場面だったからでもありますが(笑)それにもまして、無力な人間の少女とちっぽけな小妖怪にも、強力無比の大妖怪である殺生丸に影響を与え、その心を動かすだけの力がちゃんとそなわっているのだ、ということが見るものの心を揺さぶるからなのでしょう。
私はりんちゃんと兄上の関係とても好きです。でも、邪見の一途な信頼と殺生丸のこの主従関係の妙も、私にはなかなかに捨てがたく、味があるもののように思われるのです。