父上の気持ちについて


 父は一体いつ頃からあの遺言を考えていたのでしょうね。冥加は十六夜を救いに向かう父上から、もう自分は長くない、といわれて周章狼狽していますから、このときまで父が死ぬとは本気で思っていなかったわけで、遺言は聞いていなかったと考えられます。聞いていれば少しは覚悟ができていたでしょう。

冥加以外に父のそばにいたのは叢雲牙の鞘だけですから、やはり父上はあの屋敷の燃えたあの場所で初めて、苦しい息の下から最後の遺言を鞘のおじいさんに残したわけですな。天生牙を殺生丸に、そして鉄砕牙を我がむくろと共に黒真珠の向こうに封ぜよ、と。

それにしても、この鉄砕牙の処置を言い残したときの父君の気持ちというものは悲痛とも切ないとも何とも言いようがないなーと私は思ったりいたします。

父上は、どんなにか十六夜さんに鉄砕牙を持たせてやりたかったろうと思うんです。さなきだに人にも妖怪にも受け入れられぬ半妖の赤子を抱え、ましてやかよわい若い女の身、屋敷で物の怪の子を産んだことも、その子の父たる妖怪が屋形で彼女を救いに来て死んだことも知れ渡ってしまうはずです。

せめて護り刀たる鉄砕牙だけでもその側において守ってやりたかったでしょうに、そうはできなかった。もしも十六夜の手元に残せば、もう一人の息子殺生丸は必ずや彼女を襲い、鉄砕牙を奪い去るでしょう。たとえ結界でその手を拒んだとしても、殺生丸は鉄砕牙が意のままにならぬのを怒り、刀を永久に自分のものにしておくため十六夜と犬夜叉の息の根を止めてしまうであろうことは想像に難くありません。

 しかしまた犬夜叉に遺すつもりで鉄砕牙を封じたところで、果たして半妖の犬夜叉がなんとか生き延びて大人になり、刀を手にするところまでたどりつけるかどうか、すべては賭けでした。

 父君は年月を経た大妖怪です。半妖がどういう扱いを受ける存在であるか、知らなかったはずはありません。その危険をも犯して十六夜さんを愛し、その半妖の子を成したのは、必ずや自分が側にいて二人を守ってやる、という覚悟あってのことだったでしょう。けれど力及ばす、父にも二人の命を救うのが限界でした。

この先自分が生きて半妖の我が子を守ってやれないこと、二人が出会うであろう試練と苦難を思って、死んでいく自分のことよりもつらく二人の行く末を案じたのではないでしょうか。

だが犬夜叉とても正しくこの父の血を享けて生まれてきた子、たとい半妖の不利を背負うとも、必ずや生き抜いてこの父の形見たる鉄砕牙をみごと手にする日が来るに違いない。十六夜さんとてもたおやかな人間の女とはいえ、おそらくは周囲の激しい指弾と非難の嵐を耐え抜いて、この妖怪の父との愛をつらぬいたのですから、必ずや芯の強い勇敢な女性であったに違いありません。そういう女性だからこそ父も彼女を愛したのでしょうし、彼女なら必ず犬夜叉を見事守り抜いて育ててくれるだろう、そう最後に父は思い決めて、ついに鉄砕牙を封じる決断をくだしたんではないかなーと、そんな風なことを私は想像するのです。

そして同時に息子、殺生丸に天生牙を与えよというもう一つの決断。

これまた父上には苦渋の末の決断だったろうと思います。映画3では刀々斎は手渡すのをこわがって朴仙翁にかけておく(ご機嫌取りのハートが笑えます)くらいですから、この天生牙を残されたと知ったときの殺生丸の失望と憤懣は予想されることでした。

自分をしのぐ最強の妖怪、大妖怪になりたいという殺生丸の望みを、父も理解しなかったわけではないでしょう。しかし殺生丸は生粋の妖怪の子です。

殺生丸を含む強力な妖怪たちには、一種の共通点があると思うんですね。まず逃げることを何とも思わない。負けて逃げても悪びれないし、また同じ敵に挑むのを気おくれするとかいうことが全然ない。殺生丸もそうですし、鋼牙くんもそうです。自意識の持ち方が人間と違い、他者の目を意識しないで生きているから、そんなふうにふるまえるんじゃないかと思います。

また自尊心が非常に強い。特に根拠ってものはないのに、自分を類いないほど強いと考えている。兄上はまあしかたないとして(笑)雷獣兄弟もそうですし、蛾天丸、阿毘姫も自分に様づけするほど強がりだし、鋼牙、竜骨精もそうでしょう。自分以外のものは皆自分より弱いもの、というふうに勝手に決めた世界で生きている。基準は常に自分であって、自分以外のものはあんまり見えない。親子兄弟、一族くらいがその狭い自己の認める範囲にかろうじて入るくらいです。他者の基準も認めませんから、出会えば戦いです。強ければ強いほどそうです。

他者の目を意識せず、他者の存在を必要としないわけですから、当然他者への寛容に欠けている。これではどんなに強くても他者をひきつけることはできません。強くても単に強いだけの妖怪の域を出ません。

大妖怪たるものはその強さと共に、すべからく他の妖怪たちをひきつけ、その膝下に従える魅力があることが条件です。孤高は大妖怪の宿命ですが、孤独では真の大妖怪には決してなれないのです。

父上が偉大な妖怪たり得たのは、実にこの妖怪の弱点を克服し、他者の命を重んじ、他者の心を重んじる優しさを身につけ、それによって他の妖怪たちの心を征服したから、ではないのかなーと思います。もちろん後にはその優しさが命取りとなって、愛する妻と息子のために父は命をおとすわけですが―――

力で覇道を求めるのとは、これは対極にある支配の方法です。殺生丸がこの言葉を口にしたとき、父上はどんな気持ちでこれを聞いたでしょう。おおそうか、覇者の道をゆくか、そりゃいい、さ、この刀持って行け、とは言わなかったのは(笑)、父上が妖怪たちを従えた方法が、覇道ではなかったからだと私は思います。

あるいは父上は若かった頃、兄上と同じようなことを考えたのではないか―――そしてそれを行動に移したことがあるのではないか―――というのが私の勝手な想像です。そして、たぶんそれは何か失敗に終わってしまった。だからこそ父上はもう一つの刀、天生牙を作ろうと思い立ったのではないか、父上を最強の大妖怪たらしめたのは、叢雲牙でもなく、鉄砕牙でもなく、天生牙だったのではないか。というより、天生牙を欲しいと思い、作ろうと思ったその心ではないか、と。

天生牙は謎の多い刀です。昔から持ってたという獄龍破をはなつ叢雲牙一本だって、覇道には十分だったはずです。殺生丸もそう思って欲しがるわけですよね。十六夜さんのため、人の守り刀鉄砕牙も作らせた。これもまあいい。しかし天生牙を作る理由ってものは本来見当たらない。力を重んじ、優しさを喜ばない妖怪界にあって、天生牙のような不思議な刀をわざわざ貴重な牙を与えて作らせたのはなぜか。

命を救う癒しの刀、天生牙、三剣のうちで最も弱く敵も倒せぬこの刀をどうしても作りたいと望むどんな強力な理由が父上の心の中にあったのか、なんてことをあれこれ考えてみたりするのであります。

あるいはとーーーっても飛躍した想像として、実は父上はまだ若い頃力が足りなかったかして、殺生丸の母上を守りきれず死なせてしまった過去があった。で、そのときのつらい記憶がのちに父上に天生牙を作らせるきっかけを作ったのではないか。もしかして天生牙には父上だけでなく、殺生丸の母君の牙も一緒につなぎに使っていて、だから父上は天生牙をいわば母の形見を兼ねて殺生丸に与えた。だから天生牙は一見慈悲の心を持たないように見える殺生丸を受け入れてその身を守ったり助言(?)したりするのではないか。なんてとこまでいくと想像力過剰ですが(笑)

ともかく、だから天生牙を与えたのは間違いなく父上の愛情で、父上は殺生丸を本当に望むとおりの大妖怪にさせてやるために、自分の持っている最強の刀を殺生丸に与えたのではないかと思います。

親が子に恨まれるほど辛い決断はありませんから、父上は本当に殺生丸を真から愛していたんでしょうね。可愛い我が子に欲しがるものを与えない、というのは、親にとっては大変な勇気がいるものです。鉄砕牙は無理としても、叢雲牙を与えて、息子の望みをかなえてやりたいと考えたって無理からぬことだと思うのです。でも父上はそうはしなかった。

殺生丸は父の心がわからなくて、くやしくて、何度も自問自答しているふうですね。なぜ天生牙をよこしたのか、なぜ殺せぬ刀なのか、なぜ自分になのか、なぜ、なぜ、なぜ? 

 なぜ天生牙を自分に与えたのかを考えている間は、この答えは決して出ないでしょう。そこから一歩進んで、なぜ父君は天生牙を作ったのか、その問いへ思い至ったとき、兄上は初めて父上の心に迫ることができるのではないか。私にはどうもそんな気がしてならないのです。




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