妖怪らの谷には、まだ風の傷で吹き飛ばされた妖怪たちの死骸が転がっていた。殺生丸はその中に、あの弱った自分の猿ぐつわをはずして水を飲ませようとした下っ端の妖怪のむくろを見つけた。こんな雑魚では風の傷相手にはひとたまりもなかったに違いない。死骸は両断されバラバラにされて見る影もなかった。
「こりゃどいつもこいつもバラバラですな。殺生丸さま、こんな雑魚妖怪どもに何か?」
(なあ・・・水、飲まねえか・・・)
(ちっとだけ、息つかせてやってからにするよ。なあ、もうちょっとだけ・・・)
あわれな、とるに足らぬ下っ端の妖怪であった。天生牙はあるじに何も伝えてこようとはせぬ。殺生丸は黙ったまま、死骸を見下ろしていた。
谷は破壊されて死屍塁々であった。たかのしれた雑魚妖怪である。生き返らせてみたところで、一族もおらず、仲間もいない中に一人放り出すだけのことにすぎぬ。
(馬鹿げた、おろかな感傷だ)
自分の中にこんなことが起ころうとは考えてもみぬことであった。天生牙を使いたいという衝動と戦わねばならない、などということは。
「・・・・殺生丸さま?」
「いや」」
殺生丸はくるりと身をひるがえした。邪見がほっとしたように歩き出そうとする。
「・・・邪見」
「はい?」
「・・・その、足元の欠け椀を拾ってこい」
「は? そのう、この椀で?」
戸惑い顔に邪見はその汚い欠け椀を拾いあげて、殺生丸に差しだした。あるじはすぐには受け取ろうとせず、しばらくその椀を見つめていた。
「・・・あのう・・・殺生丸さま・・・?」
犬夜叉なら、どこかへ埋めてやれとか、焼いて灰でも撒いてやれとでも思うのだろう。
「・・・・」
ふいに殺生丸は毒の爪をかすかに光らせた。邪見がたじろいだ途端、殺生丸の手の中で椀は溶け去って跡形もなかった。かすかな名残の砂めいたものが指の間からサラサラとこぼれ落ちた。
妖怪に弔いの儀式などない。それは殺生丸の知る限りの、ただ一つの死者への手向けであった。
(奇妙なことをなさる)
邪見が不思議そうにその顔をふりあおいだときは、殺生丸はもう歩き出していた。屍舞烏が頭上を舞っているのが見える。死骸はもう数日で食い尽くされて跡も残らぬことだろう。邪見はまた前をゆく主を見た。だが殺生丸はもう二度と振り向かなかった。
また、旅が始まるのだった。