「・・・・・・・まったく、お前ってやつは言いたくないとなったらまるで貝みてえだな。なんて顔しやがる、わかったよ、問い詰めたりして悪かった。もうそんな顔するなってば、まるでおれが小娘取り上げようとしてるみたいじゃねえか」
「・・・・・・・・・・・」
「ほんとに、あんまり気にならねえのか?自分や連れや人の気持ちとか考えとか」
「・・・・・妖怪とは己れの欲するままに生きるもの」
殺生丸はしずかに云った。
「私も、その例に洩れぬというだけのことだろう」
「・・・・」
犬夜叉は、何か言おうとした。だが、もう何もいう言葉は思い浮かばなかった。殺生丸もそれ以上何も云わなかった。
結局ほかにしようもなくて、兄弟はしばしぼんやりと、互いの物思いにひたってじっとしていた。
兄の毛皮の柔らかさ、暖かさ、かすかな甘い香りが心地よかった。腹が減ったなあ、と犬夜叉は思ったが、よりかかる毛皮の中のなんともいえぬ居心地の良さを抜け出る気にはどうしてもなれなかった。
(まあいいや・・・・)
うとうとしながら犬夜叉は頭の下の毛皮に顔をおしつけた。誰かが耳のうしろを優しくなでるのを感じた。
あまり長いこと眠っていたわけではないようだった。犬夜叉は目覚めて父の巨大な姿をながめ、それから眠っている兄のほうに視線を戻した。起こすのが残念だったが、もうこれ以上ここにいるわけにもいかなかった。犬夜叉はそっと兄の袖にふれた。
「・・・殺生丸」
相手はすぐに目を覚ました。そのごく浅い眠りは妖怪特有のもので、そうした反応は殺生丸が完全におのれの妖力と体調を取り戻したことを示していた。
「犬夜叉」
「大丈夫か。そろそろ行くぜ」
「ああ」
立ち上がった犬夜叉が骨ばかりの妖鳥を呼び寄せる。殺生丸はもう一度振り返って父の姿を見た。
(・・・・父上)
もとより父は何も言わぬ。殺生丸も何もいわなかった。犬夜叉が呼ぶ声が聞こえた。
「殺生丸、何してる。行くぞ」
「ああ」
舞い降りた妖鳥の上に、兄弟は身軽に飛び乗った。白い霧は相変わらず煙るようにあたりを包み、この大妖怪の血を引く貴種の子息たちをそっと送り出すかに見えた。
門の外は、もう黄昏だった。風がつよく吹いて、二人の銀白色の髪をなびかせていた。
「・・・行くのか。殺生丸」
「ああ・・・世話になった。礼をいう」
「別に、なんてこたねえよ」
犬夜叉はそっぽを向いた。西の空は赤く、彼らの体も紅く染まっていた。兄弟は、目を合わせようとはしなかった。言うべきことはもはや何もなかった。殺生丸が、サクと音をたてて足を踏み出した。感傷も惜別の仕草も何もない、兄らしい別れ方であった。
(気をつけてな)
犬夜叉は、言おうとした言葉を飲み込んだ。
(あの世とこの世の境が見せた夢だ)
父の奥津城の前で、つかの間見せた心の通い合いは、この現世へ持ち込んではならぬものであった。犬夜叉もそれを知り、殺生丸もまた承知しているはずであった。
(夢なら、また見ることもあるさ・・・たぶんな)
殺生丸の体が妖気の尾をひいてふわりと空に浮かびあがってゆく。その姿に背を向けて、犬夜叉は歩き出した。
「・・・気をつけていけ」
その静かな声は、確かに背中から聞こえた。犬夜叉は振り返ったが、もうそこには兄の姿は影も形もみえなかった。
(殺生丸)
夕闇にほの白い月がうっすらと顔を出していた。風がいっそう強く吹いて、その緋の衣を吹きなびかせた。犬夜叉はただ風に吹かれるにまかせて月を見上げたまま、いつまでもいつまでもそこにたたずんでいた。